「自由」は自分で決めるもの?

ただいま「自由」について、深く深く考えてみている。

そもそも「自由」には、西洋的な成り立ちで明治以降にやって来た意味も、東洋的な成り立ちで明治より前から日本になんとなくあった意味と、両方が混じりあってあるから、ちょっとだけややこしい。

個人セッションの場でも「自由」の語を聞くのだけれど、そこに持たせてある意味が人それぞれだから、その違いを知るのもおもしろい。

などなど、考えながら、今週末の内輪向け心理学ミニ講座の資料を最終作成している、田村洋子です。

自由を心理学ミニ講座のテーマにしたのは、わたし自身が「自由になりたい」とずっと思ってきていたから。

自由になりたい。

そう思っている間のわたしは、自由ではなかった。

あれがなければ、もっと自由になれるのに。
自由になるには、あれがなければならない。
……いろいろと「自由になれない」理由を見つけては、その理由をつぶしていく方法を考えていた。

自由になりたいと思っているのに、自分にとって「自由」がどんな形なのかを知らなかった。

「自由」は、ほんとうに意味が大きくて。教科書的にも、学術的にも、心理学的にも、あれこれたくさんの意味が見つけられる。
だから、「自由」を迷う。

でも、自分にとって、ほんものの「自由」は、自分だけの意味を持った「自由」であり。
教科書的で、学術的で、心理学的でといった説明するための「自由」は、あまり必要ないかもしれないというのが、今のわたしの理解だ。

それは、「自由」のちゃんとした意味を本質的に理解はしていないかもしれない自分が、今は「自由である」と感じる場面が増えているから。体験を選択していく上で、大きな制限を感じることが減り「自由である」と感じる場面が増えているから。

「自由」は自分で決めるものだと、今のわたしは思う。

どういうのが「自由」なのか。
自分なりに説明できる場面・シーンを増やし、感覚で説明つけられる用意をしておく。

そうすれば、いつのまにか「自由」なのではないか。

どこへでも飛んでいける

そして、ちょっと今週末のミニ講座「自由」へのぼやき。

ここまでの、この内容を資料にしてみてるのだけれど、わかりづらくて。

もっとわかりやすく伝えられる方法は?
もっと、自分で持ち帰って考えると、ぴんと腑に落ちるかもしれないワークは何?

試行錯誤を繰り返し、ぎりぎりまで資料作りを続けてます。個人セッション・デイもはさむから、なんとも仕上がりがぎりぎり。資料の公表は金曜の予定。
あと2日間。リハーサルと資料最終チェックは続く。

それでは、またね。
お告げ師でカウンセラー田村洋子でした。

追伸。8月の予約スケジュールも準備中。しばし、お待たせいたしまする。


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