誰にも見せたくないとおもう、わたしの苦手な「わたし」を自分の内側に持っている。
みせたくないと隠してある「わたし」は、あの人に愛されたい、愛が足りないと騒いでいる駄々っ子。大好きな人に好きと言えなくなる小心者。
こんなこと言ったら、仲間外れにされてしまうんじゃないかとおびえていたり。もっと、わたしの欲しい形で愛をよこせと恐喝していたり。……わりと、わがまま放題。欲まみれ。
でも、そんな「わたし」がいると知って。わたしが、内側の「わたし」に手を差し出して、はなしを聞いてみるしかない。
内側の「わたし」の主張を聞くだけでいい。何を思っていたのかを知り、「わたし」を認めることで、内の「わたし」とわたしとは手を取りあえる。
無理に抱きしめて「わたし」と一体化しようとしなくていい。そこに「わたし」がいると理解するだけで、認め合えるし、手を取れる。
そして、内側の「わたし」の手を、そっと他の人に差し出すのだ。
この「わたし」も愛してくれますか?
差し出す相手は、わたしが信頼できると思えた相手。この人こそは、と差し出してみる。
自分が嫌っている「自分」や苦手にしている「自分」が、何を思っているかを知る。自分が嫌っている「自分」の存在を、自分自身が認める。
自分自身で認めることができたなら、内側の「わたし」の手を取れる。
内側の「わたし」は、自分だけでなく、他の誰かにも愛してもらう。そうすると、より自分でも愛せるようになる。自信の自覚が強くなる。
*
あなたは、この手を取ってくれますか。
ここから先は、相手の反応を見守るのみ。わたしが勇気をもって行動するのは、手を差し出すところまで。
他の誰かに差し出したわたしや「わたし」の手を取るかどうか。
それを決めるのは相手次第。
でも、わたしは手を差し出しても、相手は手を取ってくれないのではないかと不安を感じやすい。
わたしが強く好きになると、「好き」や「愛」がねじれて届かなくなる。相手は恐れをなして逃げる、いなくなる。……と、わたしは思っているみたい。
自分のビリーフ(思い込み、概念)をひとつ、みつけた。だから、わたしは愛の受け取り拒否もするし、自分の愛を隠しておこうとする。
それがわかっていれば、何度も。勇気を出すトレーニングだ。
ここぞといった機会をみつけて、何度も。無心に手を差し出してみる。自分が愛していることを隠さない。
そして、自分が思う以外の形であったとしても。そこに来た「愛」の存在を感じる。
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