私にとっての幸せとは「自由である」ことだけれど、あなたにとっての幸せは他の形をしているかもしれない。
あなたにとっての幸せはどんな形?
わたしにとっての幸せは「自由であること」だから、そのおはなし、書いてみる。
しあわせは、人それぞれ
選んでいいよ、と自分に許して、選択肢をいくつか持てるなら、しあわせ。
何を選んでもよくて。何も選ばなくてもよくて。それを自分で決めることそのものが【自由】ということだと感じた。
選べるしあわせは、自由であるしあわせ
田村洋子Twitterより
選択肢をいくつか持てる。選択肢がある。
そのことが幸せだとつぶやいたのだけれど、これは皆にとっての幸せではないなと、改めて思う。
選択肢が多いと迷いが出るから嫌だという人もいるし。
最初から決めているので、選択肢が出て来ることがないという人もいる。
その人たちにとっては、選択肢があることが幸せと直接結びついていない。そして、それはよいことでもわるいことでもなく、ただそういうものだったというだけのことだ。
人、それぞれに。思う「しあわせ」は、どんな形なのだろう?
何を、自分にとっての「しあわせ」のベースだと感じているのだろう?
あなたの思う「しあわせ」と、わたしの思う「しあわせ」は、別の成分で出来上がっているかもしれない。
●自分を受け入れて「自由」になる
わたしの思う「しあわせ」は、どんな形か。
それは【自由である】こと。行動にも思いにも、制限をかけずに、多くの選択肢から「今」を選んでいくこと。
自分を嫌っていたころは自由ではなかった
選択肢が少なくなるのは、自分自身で制限をかけるから。
わたしが行動や考えに制限をかける理由として多かったのは、自分で作り上げたルールだった。
「普通は、こういうのしちゃだめでしょう」とか。「この場合、一番正しいのはどうすること? 正解はどれ?」とか。「おかあさんに認められるなら、どれを選べばいいだろう」とか。「世間的に認められるのは、どこを決めておく?」とか。
「カウンセラーらしい回答は、どれ?」とか。
そういった他人からの受けを基準とするばかりで、自分の内側で動いている感情や身体に出て来る反応はそれほど気にしたことがなかった。
だからだったのか、しんどかった。
なにをやっても、空っぽな気分になって。すぐに燃え尽きたような気がしていた。
あと。
何も自分では選べなかった。どの選択も自分がやりたいものとはずれているから、ぴんとこない。
どれを選ぶと、どんなメリットとデメリットがあるか。損得勘定で選択を確認して、一番、自分が得をしそうな選択を探すしかないと思い込んでいた。
しんどすぎたから、損得勘定をやめた。
損得勘定をやめたら、息がしやすくなった。身体が軽く感じられるようになった。
そして、自分の内側で動いている身体の反応や自分の感情を見つめやすくなってきた。自分を知ろうとする意欲が戻ってきた※。
/*
※別の自分になりたいくらい、自分自身が苦手で嫌ってた。自分を受け入れていくにつれ、自由になったと感じています。
⇒自分を受け入れたくない。別の自分になりたかった話-1-
⇒「覚醒」や「使命」へのあこがれ。別の自分になりたかった話-2-
*/
自分を知る、自分の「しあわせ」を知る
じぶん自身を知っていくといつの間にか、自由になっていて、気づいたら「しあわせ」だった。周りがどう判断するかは別として、自分自身が「しあわせ」を感じていたと気づいた。はじめに自分が思っていたよりも「しあわせ」はぬるくてとらえどころのない、平凡すぎるものだった。
でも、その平凡すぎる「しあわせ」が、わたしは気に入っている。毎度毎度、形を変えて。今日のわたしの感じている「しあわせ」は別の日にはもう最高の「しあわせ」でないかもしれない。いつも、アップデートされていて、アメーバのようにうねうねと形を変えていく。
それでも。自由であるわたしは、いつも、その時々の最高の「しあわせ」を選んでいる。
制限をはずしてみる
「制限をかける」のは、いつも自分自身だ。
普通、社会的に、一般的には。どれが、正しくて、模範的で、認めてもらいやすい考え方や行動であるか。
損得勘定をこっそりと動かして選択をしている間は、とにかく自分自身に「制限をかける」ことが多かった。
だったら、その制限をやめてみる。自分自身で「タブーである、やっちゃいけない」として、はじめから無かったことにした選択肢も、はじめは全てを目の前に並べる。
普通じゃなかったら、浮かんでくるはずの選択肢。
自分本位やわがままかもしれない選択肢。
世間のルールや道徳も無視していいとしたら出て来る選択肢。
ありえないと言われる選択肢も、全てを目の前に並べる。
ありえない選択肢も並べるなんて、といわれることもあるけれど気にしない。
本当の自分が、本当はどうしておきたかったのか。何を選びたいと思っているのか。
それを自分自身で知るために、まずは目の前にずらりと選択を並べて見る。
選択肢を並べて見る過程の中で、自分が何を自分に禁止しようとしてきたのかに気づくことも多いから。
自分自身で、じぶんを知り、自分を禁止していたものがあったと気づくと、人は自由になれる。
「自由」シリーズの記事たち
●自分を受け入れて「自由」になる(本記事)
●「自由になりたい」ときは、自分自身に聞いてみる
●「自由」は自分で決めるもの
●他からの視線も借りて「自由」になる
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何かに行き詰まっていると感じるときは、自分の本心が取りたいと願っている選択が見えていなかったり、選択肢をなかったことにしていることが多い。
あるいは、選択することが怖すぎて、別のものに目を向けて気をまぎらせていることもある。
今の自分が、何を思い、何を感じているのか。どうしたいと願っていて、何故それができないと感じているのか。
その入り口に気づいたから、会いに来てくれているのかなといったことをふと思い出していたお昼の時間。
自分のペースで(周りと比べることなく)。
内側にいる自分が本当はどうしたいか。見つめながら過ごしていきたい。
カウンセラーでお告げ師 田村洋子でした。
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