今年もまた結婚記念日を迎え、この次の1年も夫婦を続けると決めた。
そして、結婚、更新。
毎年7月7日が更新確定日だから、6月から7月の頭にかけてはいつもにもまして「結婚」のことを考える。(恋をしている時にも考えるのだけれど…)
「結婚」の持っている意味はなんだろう。
婚姻届まで出して、法律の上で正式に夫婦になる意味って何だろう。
「結婚」は、『社会や世間からみた常識にあわせて、「普通の家庭」を作るための、はじまりのルール』だと、以前のわたしは思っていた。
「結婚」したら、外から見てもある程度はちゃんとした「妻」をやりながら、「子供」を産んで「母」として子供を育てる。結婚した相手と共働きをするとしても、仕事場では男性の倍は働き「結婚している女はこれだから使えない」と言われないように、女性の役割を果たしつつ、技術者としても活動しよう。そして、家に帰ったらごはんを毎日作って、家も整える…そんなスーパーウーマンになろうと思っていた。
そんなスーパーウーマンになること/なろうとすることに挑戦したけれど、わたしには苦しくてしんどくて。自分自身が息苦しくなってきて、1度目の結婚は自滅したように思っている。
そもそも、結婚をしていない状態でもわたしは「社会や世間から見た常識」にあわせるのが難しかった。その場その時どきにパートナーが複数存在する(そうなってしまう)。
わたしが「普通」をやるには、どこから自分を直せばわからないほどだったけれど、それでも。
結婚したら、人並みに幸せになれるし、幸せにしてもらえると思っていた。
今思い出したら、誰かに自分を何とかしてもらおうとして迷走していた自分を、ほほえましく思う。もし、1度目の結婚をしていた頃のわたしに会えたら、聞いてみたいし考えてもらいたい。
「人並みの幸せ」って何だろうね。
誰かにとっての幸せは、その人にとっての幸せで。
わたしにとっての幸せは、わたしにとっての幸せで。
「人並みの幸せ」と言っている間は、他から見て決めてもらう形の幸せであって、わたし自身の幸せとは形が合わないと思うよ。オリジナルな形を自分で知っておくと、幸せが、より近くなる。
自分自身で幸せを感じられないなら、誰かに幸せにしてもらうのは、ちょっと難しい。
わたしにとっての幸せを考えて、わたし自身が幸せにしているときに、他の誰かと道が重なるなら「幸せ」がさらに膨らんで。「幸せにしてもらったんだな」と受け止めることになるのだと、10年以上たった先の時間の中である今のわたしは感じているよ。
誰かに幸せにしてもらえるというよりは、「誰かの幸せとわたしの幸せが重なって、ふわっと鮮やかな幸せになる」というのが、誰かとの幸せの感覚を言葉にするときのようすではないかと、思っている。
だから、自分で。自分の「幸せ」の形をまずはみつけよう、行動してみようね。
*
2度目の結婚をした後、何回か結婚を更新してわかってきたこともある。
「結婚」は、社会的な安心。誰かと共に過ごすための約束が、制度として形になっているもの。
もし、わたしがどこかへ出かけたとしても、誰かに恋をしたとしても、「いつかは必ず戻ってくる」という約束が形になっているもの。
……なのではないか、と今は理解している
(実際、パートナーのクマ氏からもそう言われるから、わたしたち夫婦の中での「結婚」は、こういった意味を持つと言えるようだ)
⇒一緒にいる安心感を目指すために、結婚の更新を考える
⇒「結婚」のかたちを考える。心地よく夫婦を続ける
そして今年も、結婚記念日がやって来た。朝、facebookを開けると、何年も前に婚姻届けを出した日の、わたしの投稿が出て来た。
今朝から「お腹痛い」と騒ぎながら、入籍してきました。
結婚という制度を憎んでいた?自分が結婚・・・
妙な気分です。
飲み込めない気分があるからなのか、腹痛と出てきた吐き気と戦う一日でした。結婚したことを納得するのに、夜までかかりました。
もしかしたら、まだ、納得できていないかもしれません。そんな感じですが、ぼちぼちと、ふたり家族から始めます。
(略)
わたしのことを一番信じられていないのはわたしなのに、わたしを飛び越えて、
婚姻届を出した日。友人たちへ公開したFacebook投稿より
わたしの夢を信じていてくれたみんなや夫のおかげで、
幸せな家族が始められるのだと思います。
これを書いた時から何年もたって。さすがに、今は「結婚しているわたし」を受け入れてきている。
結婚している自分を受け入れることができたのは、毎年毎度「結婚なんか嫌だ」と言い続けているわたしの言い分を、根気強く聞いてくれたり聞き流してくれたりするクマ氏のおかげだし。
わたしが何をやっていても面白がりながら、見守ってくれたりはなしを聞いてくれたりする、友人やクマ氏やパートナーさん達のおかげ。
いろいろな人のおかげで、まだ結婚しているわたしを続けている。
たまに「結婚」は嫌になるけれど、それでも。
結婚を続けているわたしも、おもしろいと思えている。
憎むほどに嫌がっていた「結婚」をおもしろいと思えているのは、
自分にとって最高の「結婚」の姿や「幸せ」の形を知り、自分がどうしたいかを自覚できたのが大きい。
自分がどうしたいかを自覚出来たら、誰に助けを求めるか、誰の/どの声を聴くかを自分で適切に選んでいけるようになる。自分オリジナルな「幸せ」を選びやすくなる。
そして、自分の内に起こる感覚と自分の思考/外の言葉をつなげられる頻度が上がり、自分の内で直観に育っていく。
自分オリジナルな「幸せ」、自分たちふたりの(そして家族みんなにとっての)「結婚」。
その意味を改めて確認してみた結婚記念日だったのでした。
それではまたね。
お告げ師でカウンセラー 田村洋子でした。
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