夫婦の形(結婚を更新)を考える機会について、文字にして表に出してみたら。
友人たち、わたしのあこがれてるご夫婦さんからメッセージをもらって嬉しくなった。そして、また考えた。
結婚のかたち、夫婦のかたち
わたし達なりの夫婦の形。年に一度は、改まって考えてみる。あたまが、じゅうじゅうとパンクしそうになったりもするけれど。考えてみてよかったな。ほっとした。
夫婦を続けると決めて、いただいたメッセージ
友人たち、わたしのあこがれているご夫婦さんからメッセージをいただいた。
まさか、これほど「いいね」と言ってもらえるとは。うれしくて、そしてびっくりで。文字にしてみて、ことばにしてみて。よかったなと思っています。
その中に「そう、これ! これなの!!」と首がちぎれそうなくらい同意したかったことばがあった。
一年を振り返り、また始まる、ってずっと居るのが当たり前、っていう感覚も安心だけど、どっちも良いなぁと思ってる。
結婚更新制をとりいれたのは、「結婚を続けること」に自信がない、わたしのネガティブな思いからだ。
まずは、一緒にいる練習。夫婦になっていく練習。
そして、じぶんたちでしかない夫婦のままに、いつかは、ずっといるのが当たり前にしてしまいたい。
わたしは、そう願っているとわかった。
わたしは「ずっといるのが当たり前」と「一年を振り返り、またはじまる」を両立させたいのだ。
いるのが当たり前な存在としての夫婦
結婚するとき、「一生添い遂げる」ということばがあるように。
結婚したり、夫婦であったりすることは「相手とずっと居るのが当たり前」だと広く信じられている。
ずっと居る。
その解釈は、人によって、夫婦によって。それぞれに違っている。
同じ家に住むことで、ずっと居るのか。
心が寄り添うことで、ずっと居るのか。
同じ家に住み、心が寄り添っている。両方のずっと居るが必要か。
ずっと居る。の解釈はばらばらでも、夫婦の間ではそれなりにそろっていく。そして、当たり前の関係がふたりの間に出来上がる。
できあがった当たり前の感覚は、安心を生む。
人は慣れたものに、安心感をもつ習性がある。
(この習性が、習慣を変えたいと願うときに軽いブレーキになってしまうのはご愛敬)
わたしは安心も欲しい。安心感もつくりたい。
いずれ、パートナーとふたり。当たり前の感覚を、空気のように感じたいと思う。
パートナーと自分とで「当たり前」が違う(ような気がする)
まだ、くっきりはっきりと。パートナーと一緒に居るのが当たり前だ、とは断言できないのが、今のわたしだ。それでも、 一緒にいるのが当たり前。とパートナーに感じてもらいたいし、そう感じたいと願ってる。
共に、同じ家に住んで。毎日、同じ家に帰ってきて。
一緒に毎日、ご飯を食べて。
物理的に「一緒に居るのが当たり前」とおもっているパートナー。
その頻度で一緒に居ると、いくらパートナーが相手でも疲れていくわたし。
それでも、パートナーと一緒に居る感覚は、こころの奥ではたぶん持っている。
一年を振り返り、またはじまる夫婦
パートナーは、ほぼ毎日を物理的に一緒にいようとする。ひと昔前のホームドラマのような、あたたかな家族の風景をできるだけ、毎日すごしたいと願う。
わたしは、パートナー以外に関わりたいモノが多い。そして、ひとりの時間と多めの睡眠が何より好きだ。
だから、 月の半分。ホームドラマのような夫婦があれば、パートナー成分を補給できる。
この差はなかなか埋まらない。
ふたりがぞれぞれにもつ「当たり前」を日常で見直す
日常の、もっと細かなことはなおさら。お互いの「当たり前」が違っている。
そして、目の前でコトが起こるまで、「当たり前」がふたりで違っていることに気づかない。
だから、違いに気づいたとき。お互いに声をかける。
ふたりがどうしたいか。考える。
そして年に一度。改めて夫婦の形を考える。夫婦を続けよう、と考える。
まだ、大丈夫よね。もうちょっと、いけるかな。
もっと、こうしようか。あんな風にやってみよう。
夫婦を続けようと思うから、お互いにできることをよりあわせて。近づこうとする。ふたりがそれぞれに思っている「当たり前」をすりあわせていくことで、安心がつぶつぶと生まれていく。
続けたいとおもうふたりの暮らしは、その時々に移り変わる。
小さな不具合、ささいな出来事もでてくる。でも「夫婦を続けよう」とお互いに思える限り、バージョンアップが繰り返されて、不具合を調整しながら関係性のアップデートが続く。
更新制の結婚を、これからも続けるか
一緒に居る安心感。それが確かなものになるのなら、更新制の結婚を続けなくなるかもしれない。
そうと知らず、パートナーだけに無理をさせているかもしれない。
日常の違和感をなかったことにしてしまうかもしれない。
察してほしいと、ことばで伝えることをやめてしまうかもしれない。
けれど、「更新制」という建前があるから。日常で歩み寄ったり話し合ったりする気力がわく。
更新制をとらなくても、話し合い寄り添っていくことのできる夫婦はある。けれど、 わたしは更新制なければ、ふたり話し合いをできるだけの器量をもちあわせていないと感じている。
だから、わたしにとって、更新制の結婚は「一緒に居るのが当たり前」になっていくためのツールなのだ。
ツールがあるから、パートナーとあるための工夫を考えていける。
来年も、再来年も。
更新制の結婚を続ける(続けていたいからできることをやっていく)
いただいたメッセージたち。
……他にもメッセージいただき嬉しき限り。ありがとうございました。