足元を確認して進みたい。その前にかける合図、「大丈夫」

大丈夫なんだとしたら、どうしたい?……そんな風に、聞かれると安心する。ほっと力がゆるむ。自然体の呼吸が戻ってくる。

だから「大丈夫」って自分にも言いたいし、周りの人にも言えたらいいなと、わたしは思ってる。

突然、こんなことを思いついたのは、古いノートを見返していたから。

” 「大丈夫」は思考停止だ! ”

そう書いてあった。それも、蛍光マーカーで、ぐりんぐりんと激しく丸をつけて。
そして、そのページには、ぽこぽこと水にぬれてへこんだ跡。

どうやら、このノートを書いた30歳代のわたしは、泣きながら、これを書いたもよう。

当時は、確かに。もしかしたら、思考停止していたかもしれない。
「大丈夫(だから、このまま。変わらなくてもいい)」と思ってたのかもしれない。

でもね。
あの頃は、うつ症状や過食と拒食に悩まされてた頃で。

「変わらない=立ち止まってもいい」

そんな意味合いで「大丈夫」ということばを、自分に言い聞かせてた。

なので、「大丈夫」は、思考停止だ!と、他の誰かに言われて、かなしかったり悔しかったりしながら、「大丈夫」って自分に言わなきゃやってられない状況を抜け出したくてメモを残した……そんな気がする。

こころも身体も、休息や休養が大切だった時期の「大丈夫」には、「安心して、お休みしようね」というやさしさが詰まってた。

今のわたしも「大丈夫、問題なし!」ってよく言ってるかもしれない。でもそれは、かつての切実感が抜けて、ゆったりふんわりとした「大丈夫」。

順調だから、どんどん進んでみよう。とか
調子いいね、やってみよう。とか
迷っててもいいよ、それを試してみよう。とか

そんなときに口にしてる「大丈夫」ということば。それは、”問題がないよ、いい結果へ向かってるよ”といった意味をもつ。
(だから、ほっとできるのかもしれない)

心理学的にも、「大丈夫」という言葉には、わたしたちの神経系を落ち着かせる働きがあるらしい。

何かをはじめようとするとき、無意識のうちに体が緊張していたり、交感神経が優位になっていたりする。そんなとき、「大丈夫だよ」と誰かに言われたら、副交感神経が刺激され、ちょっとずつ心身のバランスが整ってくる。自分で自分に「大丈夫」と声をかけても、それと同じ効果あり。

自分の内なる不安に“安心”の光を当ててあげるようなことば。

だからこそ、「大丈夫」は「進む前に一度、足元を確かめる」ための言葉としても機能するし、「これで行こう」と意志を定める前提にもなる。

そう思うと「大丈夫」って“呼吸を取り戻して、意図を定める”ための中間地点のことば。
自然体にもどすための呪文みたい。

大丈夫と思えたとき。
自分が「今」に戻ってくる。そして、そこからがはじまり。
自分の意思、意図をもって、みつめる先を定める。
そして、そこから次の一歩を踏み出していく。

「足元、確認せよ」とか、「足元安全、それ行くぞ」といった、進むための“前提”。
それが「大丈夫」。

だから、大丈夫(笑)
自分の足元である「今」の気配を確認して、顔をあげて進んでみよう。

そして、今月をどんな月にしてゆこうか。

それでは、またね。
田村洋子でした。

***

自然体のじぶんをどう生きる? 「今」の流れをつかむには??
そのヒントにできそうな内容を月2~3回、レター配信しています

※個人セッションやプログラムの先行案内もレターから
>> ◆ ニュースレターを購読する


>> 田村洋子の【セッションを予約】する

>>

タイトルとURLをコピーしました