立ち止まるには、それなりに理由がある。

この春になって突然のように、いろいろなことがおこりはじめたら、自分の受け止められる量を超えてしまったみたいで頭がぼわんとしている。ぼわんとした頭の中から、むくむくと「不安」が出てきて足が止まった。

根っこの部分で「不安」を感じやすい性質だからか、わたしはすぐにネガティブ・不利益・損・不運なできごとに目が行く。「不安」をこんなに感じられるなら、危機管理は万全!とでもいったところかもしれない。と、ひとり、にんまりと「不安」を見ている。

なにごとも受け止め方次第。
「不安」があっても悲観的になり過ぎていない今の自分を見て、ちょっと嬉しい。(以前はその「不安」に飲み込まれて凍り付いてしまっていたから)

立ち止まって、自分の足元やじぶんの気持ちを確認し。また動きはじめる……それでいいや。

変わりたい。さあ変わろうか。
そう願って動き始めている時ほど、不安が出て立ち止まることがある。

立ち止まってしまったと、さらに不安を感じることもできれば、
立ち止まって。不安の中身をのぞくことのできた自分を嬉しく思うこともできる。

少しでも「不安」があるときは、自分のなかで何か心にひかかっているものがあるということ。

その「不安」を見なかったことにせず、気づいて立ち止まれた自分を喜んでみる。

そして「不安」をみつめる。

 その「不安」に正体はあるのか(理由はあるのか)。
 変わっていくことが怖すぎて、足を止めるための「不安」なのか。

「不安」がわかれば、また。歩いていける。動き始まる。


ネガティブも力になる(前向きなネガティブと後ろ向きなネガティブと)

わたしの場合。進むのが怖い「不安」のときは、腹の奥がぎゅうっと縮まったような感触がある。息が締まる。頭が痛むこともある。

環境が変わるとき。環境を変えたいとき。
そのときの「今」いる場所で「やりつくせた」感を自分が持てていない時も不安になりやすい。

ほんとうに「やりつくせた」のか。
それはわたしでないとダメな内容なのか。
(他の人がやれる内容なら、わたしがやらなくてもいい)
やりつくせた感じはないけれど、もういいやと思いきれるか。

そのあたり、自分自身に何度か、聞きなおして。身体の感覚を通して、気持を確認してみる。

そうするうちに「不安」は不安で無くなり、凍り付いていた足が溶けたみたいに軽くなって、また進めるようになっていく。

……そんな風に。立ち止まった理由を知って。進む方向を改めて見つめ直して。確認できたらまた、歩き始めてみる。

今回のわたしが感じている「不安」は、突然、ものことの変化してその変化が怖くなったからだった。

別に、変わっても怖くないよね。
自分が思っていた以上に変化があるって、おもしろくない? 思っていた以上の変化があるなんて、それはボーナスステージかもしれないし。

せっかく「不安」になって、足を止めてみたのだから。
もう一度、原点を思い出してこの行く先を思い出してもいいんじゃない?

周りの変化が大きすぎる気がして、自分の想定外すぎて出てきていた「不安」なら、原点の思いを改めて思い出して、行く先をみつめて。にっこりと笑う顔を作って、突き進んでみようか。


がんばりたい気持ちが前に行きすぎて、足が止まっているときはマイペースで。自分に寄り添いながら進んでいく。

夢がかないそうになってくると「不安」が出やすいこともある。
えーいっと夢に飛び込んでみる。

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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