初めてふたりで会ってみた友人。おもしろいくらいタイミングや考え方が似ていて大笑いになる。ランチで選び迷ったメニューが同じ。両方をひとつずつ注文して、はんぶんこ。
場所をカフェに移して、再び注文。パンケーキがおすすめのお店らしいけれど、ランチの後に食べるには、ちょっと一皿が多いのです。どうしようか、少し悩む。隣に座った友人も迷っている。その理由は、パンケーキの多さ。
注文したかったものが、また同じだったのでパンケーキもはんぶんこ。皿に添えられたバナナとベリー。友人はバナナが食べたい、私はベリーが食べたい。仲良くすみ分け、はんぶんこ。
お互いのもっている世界観が似ていると思うから、お互いの違いがくっきりと見える。似ているところと違うところと、その両方が見えてくる。そのおかげで自分自身の形が浮かび上がってくる。
それぞれに思うところを思うままに伝えられることが嬉しい。気の合う感覚と似たタイミングで出てくる共通する言語が自分の内側にあった何かを浮かび上がらせ、話をしている言葉とつながり「わかった」というひらめきになる。お互いに感じる「わかった」雰囲気がふくらみながら話は続く。
別れ際、話の流れのままに、わたしが迷っていたジャケットを見比べてもらうため、服を見に行くことになった。わたしが迷っていたも服を、一緒に店まで来てもらって選んでもらう。友人とふたり、服を買いに行くなんて初めてのこと。ふたりで服を見る緊張をもったまま店に入ったはずなのに、いつのまにかその緊張を忘れていたことにもびっくり。
はじめてづくしで、笑いっぱなし。似ていることが多すぎて、違っていることがはっきりみえて、そのおかげで「わかった」感覚が、ちかちかと頭や目の前で光り続ける。頭のどこかに埋まっていた何かと、化学変化を起こして他の何かに化ける。
たいしたこと話してないはずなのに、この納得した感覚は何なのだろう。 言葉にならない何かが、そこにはあった。 感覚の中で何かが一歩、進んだ。言葉にならなくても感覚をとおして理解されるものがあると実感した。
ああ良かった。友人と話したおかげで、自分の形を取り戻せそう。
この後、別の友人を案内して上った松山城から見た風景で、心の根っこも思い出せたことだし。ようやく荒ぶっていた心もおだやかに、年末の再会を約束して母と別れられる気がした。