
もし、願いごとがかなうとしたら。
何を願いますか?
と聞かれて。
……そうですね。
自分の願い事は〇〇で、こんなふうにかなっていくといいなと思っているんです。
そんな風に、すっと言葉にできる人は、自分自身で「願い」をちゃんと知ってる人なんだと思う。
でもわたしは、「何を願うか」と聞かれると、ちょっと身構えてしまいます。
それというのも。
「この人、どんなつもりで聞いてるんだろうか(どんなこたえを期待してるんだろう)」と、相手との距離を測ってみることもある。
「いやいや、そんな都合よくかなわないでしょ」
「願ったって、現実は変わらないよ」
そんなふうに思ってしまうこともある。
そもそも「願いって、なんだっけ?」と、よくわからなくなることもある。
でもある日、ふと聞かれたんです。
「どんな自分でいたい?」
そう聞かれたとき、「願いって、そんなにたいそうなことじゃなかったんだ」と、ちょっとだけ、息がしやすくなった気がしました。
(だから、わたしの手帳には「どんな自分でいたい?」と付箋が貼ってある)

かなえるべき「何か」を探すんじゃなくて、「どんなふうでありたいか」を思い出してみる。
それは、「こうでなければ」ではなく、「こうでありたい」と感じている自分の感覚に戻っていくこと。
例えば、「ちゃんとやらなきゃ」と思いがちなわたしだけれども。
今日は、この瞬間を、ただ味わっているような自分でいたい。
だから、そうしてみようかな、とか。
誰かにどう見られるか気になるけれども、
今日は「大丈夫」と自分にやさしく声をかけられる自分でいよう。とか。
ほんとうの願いは小さく、ささいなもので、わたしたちの日々のなかに、たくさんあるのかもしれません。
そして、そういう「在り方」について思っているような願いに意識を向けて、自覚すること。
それが、未来の流れを変えていくはじまりになる気がしています。
当たり前に、なんの疑問もなく この次を待てる。
それを、たのしむ、喜ぶ。
それが、予祝の感覚。
これは、「予祝(よしゅく。前祝い)」という考えの原型のようなもの。
「かなった気分を先取りする」
そんなふうに表現されることも多いけれど、それだけが予祝ではないのです。
そんな「在り方」へのまなざしからはじまる、わたしにとっての「予祝」について。
あらためて書いてみました。
無理に気分を盛り上げたりしなくても大丈夫。
ふと感じた未来の気配を、受け取るような予祝のかたち。
>> 予祝ってちょっと怪しくない?と思ってたわたしが、いま思うこと
それでは、またね。
田村洋子でした。
関連ブログ
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https://tamurayoko.jp/archives/5639

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