ここの場所に立つと安心する。そして、何かあった時にふと思い出す風景がある。それが、松山城の天守が立つお城山から見た海の風景だ。
今日は、東京からの友人と一緒に、夕方のお城山に登った。お城の門が閉じられるまで、残り1時間。大急ぎで山道を上がっていく。
青い空の中に浮かぶ雲が、少しずつ色づいていく。木々の影が黒く伸び始まる。そのなかを大急ぎであがっていく。
頂上に着くころには、太陽がかなりおりてきていて、いっそう夕暮れの色合いになる。紅葉したサクラの赤い葉っぱのむこうに、モノクロの直線でふちどられたお城は、あたたかくてどこか懐かしい。そのくせ、風は思ったよりも冷たくて身震いする。身体の寒さと心のあったかさとの差が面白くて、何も起きていないのに笑いが湧いてくる。
夕焼けの中、天守下の広場を歩きながら、春の花盛りを思い出す。小さいころからお花見の時期に、お弁当をもって家族たちで上がってきていた。夏になる前には学校ぐるみで写生会に来ていた。夏にいとこたちが帰ってきたときには、祖父母も一緒にあがってきて、こっそりアイスを食べた。秋は落ち葉をひろいに、登山道を上がって、冬は筋トレと称してかけあがってきた。何度も何度もあがってながめた、瀬戸内の海と島かげ、そして天守。
空と海のみえる景色は変わらないけれど、下に広がる街並みが変わってきている。それだけ、自分も年齢を重ねてきた。そして、地元でない場所で知り合った友人とふたりで、松山城から夕陽を眺めている。同じものと変わったものと。どちらもいちどきに感じることの不思議さ、おもしろさ。
なにかあって帰りたくなった時。帰りたい風景は、たぶん、ここからみた空の下にある。じぶんの心の原典にあるだろう街の形が、松山城からぐるりと眺められる気がする。……と思うけれど、実家の裏から眺める山並みも、いまは埋められて消えてしまった川の石組みも、じぶんの原点の風景の一部かもしれない。
帰る場所はどこだろうと探し続けたけれど、時間を超えたこの目の前の景色が帰りたい場所の一部。きっと、そういうことだろう。
なんとなく自分の中で納得して、閉門のアナウンスが流れた後の松山城を降りていく。急な登山道を下っていったその先で、カラスたちが家に帰っていく姿を見た。ヒッチコックの鳥のように、どこか不気味で寂しげだねと笑った。
半分の月のまわりを、ゴマ粒のようにカラス達はとびまわり、あっという間に消えていった。 ひとりでなく友人とその様子を見ることができて、安心した。
安心したらお腹がすいた。せっかく松山まで来てくれたのだからと、郷土料理を出してくれるお店「郷土料理 五志喜(ごしき)」に出かけた。もりっとたくさん、ごちそうさま。
この味も、私の原点を作ってるのだろうな。
じぶんの原点、はじまりを知っていると、自分の帰る場所や中心の要素が自分にもあったことに安心する。自分にとってのグラウンド、地に足着く場を感覚では知っている。その感覚を思い出しながら、より自分自身へと近づいていく。
◆行ったお店は『郷土料理 五志喜(ごしき)』
住所:愛媛県松山市三番町3-5-4