「ビジョン」という単語に気分が重くなるのは何故?

「どうしてなのかわからないのだけど、『ビジョン』というワード(単語)を見たら/聞いたら気分が重くなるのです……」とのご質問をいただきました。

今回の講座を受けてくださり、「ちょっとは気分が軽くなった」とのこと。講座がお役に立てたようで、嬉しいです(アーカイブを見ていただいたとのこと。ありがとうございます!)

ご質問を受け。「ビジョン」という単語をみて、気分が重くなる理由を書きますね

……その前に。自分自身に訊いてみてください。

  • あなたの「ビジョン」は、どのくらいの距離にまで近づいてきているように思いますか?
     すごく近い? うっかり触れてしまえそうなくらい近い?
     形が見えないくらい遠い? 何が何だか分からない感じで、よくわからない?

自分とビジョンとの距離を知って、そのうえで「ビジョン」という単語をみて気分が重くなる理由を考えます。

  • あなたはどうして、「ビジョン」という単語をみて気分が重くなっているような気がしますか?

気分が重くなると思った理由を、あなたなりに想像して書き出してみてください。

そうしてあなたに書き出していただいたものが、おおよそ、気分が重くなる理由です。

……と聞いてみて、あなたはどんな感じがしましたか? 何を思いましたか?

(個人セッションの場であれば、ここから質問を重ねながら、あなたの感じていることを一緒に確認します。が、ブログなのでこのあたりで質問は止めますね)

ビジョンを持つことが、自分にとって苦しいことになっているときにも、気分は重いです。

では、どういうときに「ビジョンを思う時が苦しくなる」のでしょうか?

 自分のおもうビジョンが、ほんとうにあっているのか、迷う時。
 なにか、これ!といった正解のビジョンがあると思っている時。
 ほんとは「こうしたい!」けど、そうするといけない気がする時。
 自分の持っているビジョンが他の方の目から見て悪いものに思われそうだと感じている時。
などなど……

講座の中でも「ビジョン?……(ケッ)」と悪態をついていた頃がわたしにもあったというおはなしをしたかと思います。あの頃は、「壮大なビジョンを描けない自分」に嫌気がさしていました。

ほんとうは、わたしにやりたいことがある。

ひなたぼっこができて、美味しいものをわけあえる誰かが居て。週に2~3回、ごはんをゆっくり、おはなししながら仲の良い友人と食べて。
そういったことを、落ち着いてできるだけの「ゆとりと安心のある暮らし」が欲しかった。

それが、その当時のわたしのビジョン。

でも、ビジョンと言えば、仕事の成功とか、もっと大きな何かであるべきで。
こんなちっぽけな暮らしをビジョンと言っていいのだろうか?

そう思って、ビジョンを思うことが苦しかった。

今、ふりかえると。当時のわたしは、マズローのいう5つの欲求※のうち「安全の欲求」が満たされていませんでした。

※人の欲求は階層になっていて、低次の欲求を満たすとより安定する。
欲求の階層は低次のものから、1.生理的欲求、2.安全の欲求、3.社会的欲求、4.承認欲求、5.自己実現の欲求の5つ

自分にとって当たり前になっているものを、人はビジョンにしません。(既に当たり前のことになっているから、ビジョンとして思い浮かべもしない)

けれど、当時のわたしは安全の欲求が満たされていないと感じていたから、ビジョンを描いたときに「ゆとりと安心のある暮らし」が思い浮かんでいたように思います。

南のしまでのんびりしたいと思ってました……

***

その他、逆に。
うっかりビジョンがかなってしまいそうなときも、気分が重くなります。それがかなってしまうと、しあわせになってしまうからです。

こうしたい、こうなりたい。
あなたが描いた「しあわせ」の形(の一部)が、ビジョンです。

人は、いろいろな理由で「しあわせ」になることを怖がります。それは、「しあわせ」がこれまでの自分にとって未知の世界である場合も多いから。知らないものは、恐ろしい。不安にもなる。

だから、ビジョンを思うと気分が重くなる時は、自分自身に確認してみてください。

  • もし、あなたが「しあわせ」になることを怖がっているとしたら、何が理由だと思いますか?
  • あなたが「しあわせ」になると、どうなってしまうでしょうか?
     何が起こるような気がします?

そういった視点で眺めてみても、わかってくることがあるかもしれません。

あるいは、とことん自分の「しあわせ」の形を具体的にイメージしてみる。そして、今から体感できるものことをやってみる。

「気分が重いから今はビジョンをみつめない!」と決めて、日々の体感をものさしに過ごしてみるのもひとつの手段かもしれません。

ビジョンをみつめず、今、このときのごきげんに着目して日々を過ごしてみる。そうすると、自然とビジョンに向かっていた。なんてことも起きます。

なので、ビジョンを描けるときに(描きたいと思ったときに)描いて。
描かねば!といった義務感のようなものには捕まらないと決める。

「『ビジョン』という単語に気分が重くなるのは何故?」の質問の答えになれていたら幸いです

それでは、またね
お告げ師でカウンセラー田村洋子でした

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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