朝、部屋に置いてある緑の葉の水をかえようとして、次の花が出はじめていることに気がついた。次の花が咲くのを、たのしみに待っている。
先日、ひとつ、花が咲いて、しぼんで。花の時期が終わった。数本まとめて咲いたので、数本まとめて花の時期を終えた。
それでも、しゅっと直線に上を向く葉のみどり達が、とても涼し気。花を終えた茎の先にも、しゅるんと紡錘形が残っていて、オブジェみたい。
花は終えたけれど、まだこの花(菖蒲;ショウブ)のみどり達と別れるのは、なごり惜しい。次の花を買ってくるのは、もう少し先にしようか。
そうして、飾り続けていたら、花を終えたはずの茎から、次の花が咲こうとしている。
咲き終えた花を捨ててしまわなくて良かった。次の花が咲くなんて、思いもよらなかった。
地面に直接植えてある菖蒲は、一度にふたつ、花開いているのは知っている。それでも、切り花にして複数の花が咲くと思わなかった。ふたつめの花が咲く前に、水揚げが悪くなり、花を咲くだけの力がないと思い込んでいた。
もしかしたら、これまでも。次の花を咲かせようとしていたのかもしれない。けれど、花が咲く前に飾るのをやめてしまっていたから、ふたつめの花を見られなかったのかも……
花たちは、咲かなくっちゃ! と咲くのを頑張ってなかった。静かに、じっと生きている。タイミングや状況がうまく重なったら、結果としてふたつめの花が咲く。咲いた状態を人が目にする。
今、私は成果を出したくていらいらと焦っていた。できない自分に怒っていた。
でも、焦らなくていいのか。自分を怒らなくていいのか。
成果は、あくまでも結果。今のことをやり続けないとわからない。
水をすいあげて、淡々と生きているように見えてた菖蒲が、突然、ふたつめの花をつけたみたいに。わたし自身の変化にも、突然、目に入るのかもしれない。
気がついたら、ちょんと青い花の色が顔をだしていたみたいに。
気がついたら、わたしも自分のよい変化に気がつく。
(確かに自分ごとを振り返ってみれば。10年前、5年前、1年前のわたしに比べたら、うんとお気楽に生きている。だから、焦っている今の私もそのうち振り返ってみれば大丈夫になる)
今やってることがダメだから、結果にならないと思い込んで、やり方を無理に変えようとしなくていい。「今の自分はダメだから違うわたしにならなきゃ」とか思わなくていい。もうちょっと、長い目で自分とつきあおう。
焦っている時は、自分で「ちっぽけでダメな自分」だと扱ってしまっているようだ。ちっぽけな自分であると、決めつけてしまうのはやめよう。
あきらめずに、今できることを淡々と、その時々に過ごし感じていれば、それでいい。そうすれば、時が来たら花開く。
それまでは、菖蒲の入っている水を入れかえたり、葉や茎の下を切り戻したりしたように。自分の興味あるものを追いかけたり、身体の感覚を感じたりしながら、今のじぶんを過ごしてみよう。
自分で自分をあきらめない。ふたつめの花も、咲く(かもしれない)。それは、その時任せ。無理に先の時間を手元に引き寄せようとしない、結果を焦らない。
ああ、この焦りの感覚。そういえば、以前もあった。覚醒したいと焦ってた頃にも感じてた。「焦り」は、わたしにとっては、おなじみの感覚なんだ。
しょうがないな、わたし。あはは、と笑って力が抜けた。
そして、焦りんぼのわたしに言い聞かせる。
今のわたしは、どうしたい? 何を感じてる? と聞きながら、淡々とマイペースを心がける。花咲くときをたのしみに待つ。
★ただ今、6/20土曜のお申込受付中!!
一緒に遊びませんか。
-----
あなただけのお困りごとを、ずらりとほどく。
★個人セッションを予約する
---
お悩みへの回答はブログ内でも受け付けています。
お返事はブログ内で致します。わたしの思いを込めて大切に書かせていただきます。
※オンラインの無料相談所『ココロノマルシェ』もどうぞ