新たにはじめようとしてるとき、変わりたい変わろうとしているとき。気になるのが自分自身のこと。
自分は、何ができるんだっけ?
どんな感じでいるのが自分っぽい?
自分らしくやってみたいけど……
自分を知りたくなる時って、次のステージへ上がる手前の棚おろしのタイミング。
ここでしゃんと自分を知れば、安定して次へ手が伸ばしやすくなる。
わたしのTwitterから
結果、次の次へ手が届くから不思議
そのことを、心がどこかで知っているから、自分らしさを探る。
「自分」ってなんだろう?とか、「自分らしさ」は?と考え始めるときが来る。わたしの才能/運命/たましいの願い/夢/ビジョンってなんだろう。と考えたくなる。
次のステージへあらためて手を伸ばすと決めた時は特に、周りにいる人たちにも「自分らしさ」を教えてもらいたくなる。
そのとき、思い出したいことが2つ。
まずは、1つ。「自分らしい」を決めてるのは、最終的に自分だと知っておくこと。
自分自身の姿は、鏡に映すことで見ることができるから、自分らしさも周りから教えてもらうとよくみえることも多い。
でも、人に聞いて教えてもらってみつけた自分。って、自分とは違った世界から見た「自分」。伝えてくれた方のフィルターをとおして見えてくる自分の像。
また、これまでを過ごしてきていた、古いステージの自分が創った自分を、周りは知っているけれど、これからの自分を知るものは、まだ誰もいない。自分自身も、まだ知らない。
……というのも、覚えておきたい。
どんな風に自分自身が受け止めるか。決めるのは自分自身。
次の1つ。
「自分らしさ」にとらわれ過ぎないこと。
自分らしくいようとすることは、今の自分が生きてるステージの延長線上に自分を固定してしまう可能性を持ってる。
「自分らしい」の使い方も、何を見るかで変わる。
自分らしくないから、こんなことするのはやめたほうがいいよなと、言い訳に使って。望んだ夢に近づくんじゃないかと思っているくせに、結果を見るのが怖くて、不安に負けて、行動しなかったこともある。
↑これ、わたしのこと。「自分らしくないから」と着たい服をあきらめたり、「らしく」しようとして高いヒールのあるパンプスはいていたりしたこともあった。
今の自分じゃ選ばないけど、次の次のステージを生きるわたしならばこっちが「らしい」はず、と。あえて選んで、突っ走ってみたこともある。
これまでの自分らしくないから、やらない。のか。
これからの自分らしいから、やる。のか。
「自分らしい」は、自分にかける呪い。
呪いの読み方が示すように、おまじないであり、のろいにもなる。
今、わたしは「自分らしい」を、自分自身をはげますためのおまじないとして使ってるか。のろいにしてしまってるのか。確認しながら「自分らしく」してゆこう。
でも、自分らしさが制限になってしまうなら、「自分らしさ」なんて、なくていい!
(ちゃぶ台返しみたいで、なんだかなと思うのだけど)
「らしく」する必要なんてないよね?
自分が自然体に素直に生きていると、それがもう「自分らしさ」になっていて、何かそれらしいものに改めてなる必要はない。
自分らしくしようとするのではなくて、結果的に自分らしくなってる。
自分らしさを探るときを抜ける瞬間もあっていい。
それでは、またね
田村洋子でした
自分らしさを探るのを抜けるとしても、自分らしくをおまじないにするにしろ。
「自分」てことばに、どんな意味を自分が持っているかは知っておきたい。
知ることで、選び直せるし枠の外へ抜けやすくなる。
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