「今、どんな感じがする?」
わたしの個人セッションやお散歩・遠足企画などで、よくわたしが口にしている言葉らしいです。
(自分では、まったく気づいてなかった!聞いてびっくりした)
わたしは、ずっと「感覚とか、感じるとか言われても。今の感じを聞かれても、なんのことだかわからない」と思ってきたのでした。
だって、感じるとか、感じとか。情報が膨大過ぎるから。
いったい、相手に何を聞かれているのか見当もつかない。
「感じればいいんだから、どんな感じか教えて?」と、カウンセリングやコーチングを受けたり、占いなどに行ったりして聞かれたら、頭が真っ白になっていました。
だって、今のわたしが思っている膨大な情報の、どれを伝えれば相手の質問に答えたことになるの?
どれが正解? 伝わる言葉になる?
そして、頭が真っ白になる。もしくは、頭が固まる。身体も固まる。
*
今になって思うに。
真っ白になったり、固まったりするときは、自分でそうと意識しないまま【正解探し】をしていた。
相手に、どういえば伝わるか。
相手に、何を応えるのが正解か。
いつも、考えていた。
「感じる」のは、周りの誰かにとっての正解はなくて。
自分にとっての、その瞬間の正解?だけがある。
その時に、自分の内側で渦巻く膨大な情報の全てと、身体の表面で受け取る情報の全て。全部をあわせて、「今のわたしが、何か。最も気になるものを、伝えるとしたら、どれ?」と選ぶのが、感じるだと思っている。
ほんと、なんでもいい。その瞬間に、自分が最も気になってることを、そのまま受け止めてることが「感じる」。
だから「感じる」ことは、観察することなのではないか。できるだけ、たくさんのモノコトを、その瞬間に思っていると自分が知ることではないかと思っている。
だから、たくさん、感じてみよう。
今の自分が、何を考えて何に意識を向けていて、何に強く惹かれるのか。
渦巻く膨大な情報から、この瞬間にすくいあげた情報は、どんなものであったか。
自分が知る。
それが、感じる。
そう思ったら、思考がちであると言われる人も「感じる」ができそうな気がしてくるよね?
/*ちょっと余談。
思考がちと言われる人は、感じるセンサーが敏感な方が多数いると思っている。取り扱うことができる情報が膨大だから、思考で処理している感じ。
理論的な方と思考がちな方の違いは、処理された思考を時間に沿って整理できるかどうかの違い。思考の網の目の広がるスピードが速かったり、連想が得意すぎたりすると、理論的になりづらいのかもしれない。
余談、おわり*/
*
「感じる」が、どんな感じなのか。
それは、自分の内側へも、自分の外側へも。たくさんのセンサーをのばして、多くの事柄を自分の内側で受け止めようとすること。
だから、頭の中をまわっている思考をすくい上げてみようと思うことだし。
身体の感覚で、目に映るもの、匂い、皮膚の感触(あたたかさなどの温度、やわらかさ)、聞こえてくる音、口の中に広がる味などを知ることでもある。
そのような膨大な情報を、たくさん、取り入れて。自分の内側で、ある瞬間に「とあるひと塊の情報」を選び取ること。ぱぱぱとつながっていく連想の先にあるものを、とりあえず今のひとつに選ぶこと。
そうして、外には正解のない「感じる」を感じて。
今を選んでみる。
それが「感じる」。
周りに対して遠慮することなく、自分におきている、そのことを選ぶのが「感じる」。
*
「今、どんな感じがする?」と聞かれたら、その時の、今の様子を選んでみる。
そこから、次の問いが生まれ、「感じる」が深まっていく。
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