何事も分解して眺めるのが好きで、今は自分のもっている「欲求」を観察しているところ。細かに分解して眺めてみたら、いつもなら自動操縦しているみたいにすっと感じるモノコトも、意外にあれこれ短い時間で感じているものがあり、ヒトの脳の複雑さに身震いしている。
そして、ふと気づいた。
「できない、うまくいかない」と思うとき。
そう思い始まるよりも先に、自分の身体の中で違和感や不快感がある!
違和感や不快感に合理的な理由が欲しくて、「できない、うまくいかない」と思い始めるみたい。できない理由は、おもしろいくらい湧いてくるのだけれど、その理由に違和感を覚えるときもあるんだよな。
だから、何かをはじめたいと思う時に「できない、うまくいかない」と思うときは、その「できない、うまくいかない」の基になった違和感や不快感のようなものを、もうちょっと解きほぐしてやる必要があるんじゃないかな?
そうおもって叫んでみたら(さえずりtweetより気分的には大音量だったの、実感したものを誰かに聞いてほしくて)、返事がサトヒカウンセラーから来た。
そうかも、そうかも!!結局思考で思いつく理由って、なんかどれも後付け感あるんだよね。
— サトヒ@育児中心理カウンセラー (@life_size_me) October 12, 2021
ちなみに、その違和感やら不快感は、NOという意味ではないのかしら。
元々は直感的に違うって感じてるのが先なのかと思ったのだけど、そこをほぐしてYESに変えることができるってこと??
何かをしたり、しなかったりするときに。
「その理由を述べよ!」となるのだけれど、どうにも、その時に述べる内容がうさんくさいと感じてしまうわたし。
だって、
何かをするときは、それをしたい。ただ、それだけの理由。
何かをしないときは、それをしない(したくない)。ただそれだけの理由。
でも、それではおさまらない気がして(実際、明確な理由を求められることも多い)、相手にわかってもらわねばならない気がして。せっせと言葉を重ねてみるのだ。
何かができたり、できなかったりするときには。
その理由を分析してみたりするのだけれど、その時にも、理由探しの執拗さを自分で見つけて、もしかしたらこれは思考で足止めしてるなと感じることもある。
だから、説明している理由には、とっても後付け感がある。
(わかるよ、わかる。本人も後付けしてるなと思いながらはなしてることある)
/*
そして、そのあとの部分への返事を、なんて書こうかなと考えながら散歩。雨の日だけど遠回りして散歩。
雨粒ながめて、なんだかちょっといい気分。滴ってきれいね。まんまるをめざして、たら~っと重さに逆らわず落ちてくるあたり、見てるだけでおもしろい。
風が吹いて、ぷるぷる揺れるのも、いい。
*/
うっとりと滴が落ちるのながめて……いかんいかん。続きを書こう。
その違和感やら不快感は、NOという意味ではないのかしら。
元々は直感的に違うって感じてるのが先なのかと思ったのだけど、そこをほぐしてYESに変えることができるってこと??
改めて考えてみた。
感情が浮かぶよりも先に身体に起こる違和感やら不快感やらは、直感。
直感というと、根拠がないもののように言われることもあるけれど、思念が身体の反応として表現されたものが直感であるともいえるから、自分の内側に直感の根拠はあるんじゃないかとわたしは思っている。
そして、直感として浮かぶもののなかには、生きものとしてのヒトが反応している部分とその個人の魂的な思念が反応している部分とがあるのではないかとわたしは感じている。
……と書いても、なんのことやらなので。ちょいと具体例。
ヒトは「いつもの、日常の、当たり前の、繰り返し」に安心できる生きものだ。決まったモノコトが繰り返し現れる、環境に変化がないほうがストレスを感じづらい。生きものとしてのヒトは「恒常性(ホメオスタシス)」を備えていて、身体を一定の状態に保とうとする仕組みの中に生きている。
よって、人が「いつもの、日常の、当たり前の、繰り返し」から外れる行動に移るときには、違和感や不快感が起きやすい。
今いるステージから次のステージへと成長していくときにも、違和感や不快感を感じることになる。
その違和感や不快感は、ほんとうにNOなのか。
直感的に違うと感じたとしても、違和感や不快感をおぼえるタイミングによって「はらはら、どきどき、不安」なのか、「わくわく、どきどき、ときめく」なのか、種類が異なる。
ここでいう違和感も不快感も無意識の部分から生まれ出てる直感からくるものだけれども、ちょっぴり浅めの無意識から出て来るように感じている。それよりも深い場所というか、エネルギー的に濃度高い感じの直感は「その個人の魂的な思念が反応している部分」。
その部分の直感で違和感や不快感があれば、もう絶対に無理!な感じになることも多いと申し添えておく。
***
けれど、感情や感覚は、決して一様にのっぺりとしているものではなくて、いくつもが切り分けることができないくらい、ぐちゃぐちゃと入り混じっていることがほとんど。
ざっくりひとつの違和感や不快感に見えても、その内側は複数の違和感と不快感が入り混じっていることが多い。「はらはら、どきどき、不安」と「わくわく、どきどき、ときめく」が入り混じっている。
だから、今の自分のもっているその違和感や不快感は、ほんとうにNOなのか。YES(変わろうとしている自分への恐れ)から来ているものが混じっていないか。その確認を自分でとっておきたい。
それが違和感や不快感をときほぐしておくということ。
NOでも、その選択の先に、どういった気分が待っている(ような気がする)のかを、自分自身で確認していくと、違和感や不快感がほぐれてくる。NOの中に、気分の濃淡が見えてくる。
やたらとNOの理由が出てくる時は、NOを正当化したい自分が居て、他の感情が引っ付いていて、その奥で小さなYESが隠れてることもある。
違和感をおぼえるモノコトは自分にとってNOか、YESか。
その答えは自分自身でモノコトを分解して見極める必要があると、わたしは感じている。
何の、どこに、違和感や不快感をおぼえているのか。
NOの先に何を感じているのか。
違和感や不快感を分解することで、自覚することを恐れている「何か」を拾い上げられる。いずれYESになる違和感や不快感もあるように思う。
……こんな感じで返事になっているかな?どうかな?
サトヒせんせの分析もお待ちしておりまする。
(観察も哲学的思考も、大好きな田村洋子でした)
***
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