あたまとからだとこころと。
全部が、それぞれに主張してる。
「どうなりたいの?」
そう聞いたなら、あたま・からだ・こころ。その全てが、それぞれに返事をしてきそうな感覚。
あたま(思考)にも、言い分がある。
こころ(魂、心の根っこ、肚)にも、言い分がある。
それをつないでいるからだ(肉体、体感みたいなもの)にも、当然、言い分がある。
だから、時々。自分の内側で合同会議を行ってみる。
あたまは、とにかく。声が大きい。 うまくやりたい欲、正しさの欲をつかって、わたしをコントロールしようとしてくる。「お前になんか、教えてやるか」と、今にも話そうとする口をとめようとする。
こころは、話をしたい気もするのだけれど、どうしていいのかわからない。思考や「世間の常識」 につかまって、おろおろと過ごす。こころの動きに重石をつける。
からだは、そのままのことを表現したい。けれどあたまとこころが、ばらばらで。しかもこれまで表現した経験少ないから、ぎこちなく行動を起こしてくる。
だから、心と身体をつないで、頭とお話しする。
心と身体をつなぐために、試す方法は人それぞれ。
瞑想をしたり、ストレッチをしたり。
軽く走ってみたり、
大声を出し、身体の感覚を追いかけたり。
自分の内側にある感覚と、外に感じるものたちがつながっていくことを確認する。
あたまとからだとこころと、で。主張のベクトルがそろうとき、ものすごい力がはたらく。ぐるんと現実が動き始まる気配がする。
きっと、この感じ。これだと気づかないうちに、誰でもやっているのだと思う。ただ、その感覚を強く感じているかどうかの違いだけ。
だから、ヨガをしてみたり。整体を受けてみたり。呼吸のトレーニングをしたり。歌を歌ったり。言葉を書いて記録したり。
心と身体をつなぐための手段を、何か、持っている。身体の感覚を通して、心とつながる。
身体が心とつながった時、じんわりと自分がのびる。
わたしは、歩くこと、書くこと、整体に行くこと。祈ること。
それらで、心と身体をつないで自分に戻ろうとする。
もし、身体がもっと柔らかかったら。ヨガにも気兼ねなく行けるかな……と思ってたら、身体がかたくても、わいわい楽しくヨガできるかも、と教えてもらった。
—
カードで遊びながら「自分とつながる60分」も、身体感覚をとおして心とのつながりを知る時間。身体感覚と心のうごきの関連性を、自分なりに理解出来たなら、心の動きをより細やかに感じ取れる。
ツール・方法はあれこれ試して、じぶんにしっくりと合う形をみつける。ひとつでなく、組み合わせて使ってもいい。心をうけとるやり方を、いくつも知っておきたい。