現実とイメージの区別がつかない脳を利用して、自分の心を軽くする

つい先日あった、お弟子講座の第5講。今回はイメージワークが取り扱われた。感情を解放することを目的とした、イメージワーク。誘導瞑想ともいうらしい。

脳は、現実とイメージの区別がつかない

脳は、現実と想像(イメージ)の区別がつかないという。

例えば、今、自分の手のひらに半分に切ったレモンがあると思い浮かべる。そして、想像したレモンを、そのままがぶっとかじってみるとしよう。……思い浮かべたら、口の中にじんわりとよだれが溜まってきた。なんだか、酸っぱいものかじったような感覚が体の中に湧いてくる。

本当は、目の前にはレモンはないのに。身体の感覚は、レモンがあったつもりになって反応してしまう。

これで、脳は現実と想像の区別がつかないということが、実感できた。

イメージを目印にして、自分が知らずにもっている思い込みや価値観をほぐす。その奥にある、感情をみつめる。

自分の心をながめる、向き合うワーク

向き合うワーク

目の前にイメージするのは、言葉を伝えたかった相手。
その相手に向けて、自分が伝えたいけれど、伝えられなかった言葉を伝えていくワーク。

まずは、師匠のことばに導かれながら、向き合うワークをやってみた。今回は5分間かけて、自分の感情のなかにもぐってみる。

誰と、わたしは向き合うかな。
覚えてないくらい昔の誰かを思い出すかな。
母親や記憶に遠い父のことが出てくるかな。
と、思っていたのだけれど、ぽこんと頭にうかんだのは、好きだった人。

そうね、今。恋愛ごとに興味津々だから。好きな人のことを思い出すのも、不思議ではない。

好きだった人に、イメージの中で会いに行って、伝えられなかった言葉を伝え直そうとした。

一緒に居た時間が好きだった。
ただ、好きだった。
そして、たくさんの気持ちがつまった、ありがとうを伝えたい。

師匠の誘導でイメージの中の「あの人」と向き合う。

何を、その人に伝えたいですか。
その言葉を伝えた時、その人はどんな表情をしているでしょう。

あの頃に伝えられなかった「好き」と「ありがとう」を伝えた。
あの人は、照れくさそうな顔をしている。

「好き」と「ありがとう」を伝えていくと、向き合ったあの人のイメージは少しずつ表情を崩していった。あの頃のようにすっと目を細めて、笑った。あのチェシャ猫みたいな、にんまり三日月の目。好きだったな。

ふんわりとあったかな「好き」の気持ちと感謝でいっぱいになった。そんな5分間のイメージワークになった。

つづいて、お弟子仲間とのペアワーク。わたしがクライアント役になった10分間で向き合うことにしたイメージも、好きだった人だった。さきほど師匠の誘導で思い浮かべていた、あの人。もう一度、向き合う。

カウンセラーさんの誘導をうけながら、何層も、何層も。心の奥へ入っていく。
たのしかったね、もし会えたらまた笑って会いたいね。
そのあったかな気持ちの一番奥で、かつんと何かを掘り当てた。伝えたかったけれど、伝えなかった言葉があった。

とても、好きだった。ありがとう。

一緒に居るときは照れくさくて言えず。別れるときは、次の機会があるからと口にしなかった。冗談にまぎらせて「好きだ」といったことはあるけれど、心を込めて言葉にしたことがなかった。

「とても、好きだった。ありがとう」 と、イメージの中にいるあの人に伝えよう。それなのに、どうしても言葉にでて来ない。言おうと口は開くのに、声にならない。ぱくぱくと金魚みたいに、口を開いたり閉じたり。のどのところまであがってくるのに、言葉の音にならない。

「どうして、声にできないんでしょうね。何を感じていましたか」
カウンセラーさんの声が聞こえる。わたしは、考える。

わたしは、好きだと言ってはいけないと思っていた。

自分の心を軽くする、きっかけみつかる

わたしが好きだと言うと、相手を困らせる。
そう、思っていたみたい。だから、「好き」と「ごめんなさい(罪悪感)」がセットになっていた、わたし。

だって、好きになったら、もっとべったりとあの人といたい。もっと、はまりこんで、わけがわからなくなるくらい、一緒に居たい。それほどに、あの人のことを束縛してしまいそうで、怖い。

それに、もし。あの人がわたしをどっぷりと好きになってくれて、一緒に居られるようになったとしても、わたしはそれを喜べない。束縛されてしまうのが、怖い。わたしはもっと自由でいたい。

こんなわたしが好きになってごめんなさい。だって、ご迷惑でしょう。

あの人はあの人で、やりたいことに向かって日々を暮らしている。その形を好きになったはずなのに、わたしの気持ちが、あの人の大切な時間や空間を浸食しようとする。
わたしが迷惑をかけて(迷惑をかけようとして)ごめんなさい。

好きでいることがたのしいと知っているのに。同時に、ごめんなさいとも感じている。

「自己肯定感」がまだ低いわたし

まだ、わたし「なんか」が、好きになってもいいのでしょうか、と。自分を悪いものやひどいものみたいに感じている。

もっと、自分の魅力を信じてもいい。

わたしが、あの人を好きなのだから、それでいいよね。
好きだと、伝えてもいいよね。

好きだと伝えたなら、あの人はわたしにもっとはまり込む。そして、ふたりでもっと幸せに過ごせる。

ふたりが幸せにすごせる姿を、どうしてもあの時は思い浮かべられなかった。

だから、好きと言えず。結果的に、あの人から逃げたんだ。

そうか、まだ。わたしは自分の魅力を受け入れていないのか。
これまでに経験してきたことを、ただ、そういうものかと受け止めきれていないのか。

わたしは悪いものであるとして、これまでの自分の経験を判定しようとしていたみたい。

過去に起きたことは、過去のもの。その時、最善最良の道を、わたしは選んだ。
だから、あのことがあったとしても、わたしを損なうことにはならないし、わたしの魅力が損なわれることもない。

今のわたしも、結構、いい感じでやってるのだから。それでいい。
わたし、たのしみながら頑張れているね。だから大丈夫。

少しずつ、自分のかたちを受け入れて、過去は過去のまま受け止める。
今のじぶんも、自分自身でうけとめて、大丈夫だよと抱きしめる。

そうしたら、きっと。イメージの中のあの人に「好きだ」と伝えられる。心にのこしていた気持ちが、いくらか軽くなる。

この後、デモセッションが行われた。

▼感情が動いたら、身体がだるくなった。

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