母性のむく先 -カウンセリング実習で思ったこと

カウンセリング実習をしている。月に数人と電話で50分、講座のときは対面でのカウンセリング。久しぶりのカウンセリングは、カウンセラー役にしても、相談する人の役にしても、どこかぎこちなくなるけれど、何かのひらめきにつながることがたのしい。

そして、自分のことを信頼してくれて話をしてくれる人がいる、それがよろこびになる。誰かの話を聞けることが嬉しい。

だれかと話をすることができれば、自分ひとりでは思いつかなかった内容にまで、たどりつける。思いつかなかった方向から、自分のことを眺め直せば、色合いの違う自分が見えてくる。

自分で思っていたよりも、わたしは人と会うのが好きらしい。人と会って、自分の内側にさざなみ起こるのをおもしろがっている。お互いに共鳴しあって、ふしぎな響きが生まれるのもたのしい。誰か、ほかの人にうつさないと見えない自分の心もある。見てこなかった自分を再確認するのも驚きがあって、嬉しい。

カウンセリングを続けたいのは、いろいろな人に会いたいから。人が動き始めて、変わっていく姿をみたいから。それは、人が育っていくようすをながめるのにも似ている。

わたしは、人が育つようすに関わりたい。眺めていたい。
どうやら、そういうことらしい。

子どもを産めなかった分、育てられない分、そう感じるのか。母性の行方を捜しているのかもしれない。

自分で産み育てる子どもがいない分、あまってしまった愛やら母性やらを、周りの人に対して発揮する機会をふやしたくてうずうずしているのが、わたしのようだ。

0
タイトルとURLをコピーしました