「あなたを大好きになっていい?」と口にできるか、悩む

すいこまれそうなほどに深い闇と深い愛を、表裏で抱えている。
これは、とある先輩が、わたしの魅力について伝えてくれた言葉だ。

その深い闇は、誰にも愛されない(気がする)問題につながっている。

親から愛されなかった(気がする)気持ちを、心の奥底に隠してきたわたし。心理セラピーやカウンセリング、コーチングなどをとおして、この10年ほどの間、癒し続けてきた。

絶対的な味方であるはずの親。その親に見捨てられた(と感じていた)わたしは、他の誰からも愛されるはずがない。親以外の人から愛されることを、自分に許せない。

もしも、親がわたしを愛してくれるなら、親以外の人から愛されることも受け入れられる。だから、わたしをもっと見てよ。親に対してもっているはずの気持ちが、べたべたと粘着質になって、わたしの心の一部に貼りついている。その、粘りじゅうぶんの汚い自分をみたいと思えずに、きれいな自分でいようとする。すると、隠した自分が大きい分だけ、心にすき間ができてくる。

他人に愛されていても、どこかから心の中に向かって、ひゅうっと冷たい風がやってくる。そのすき間風を埋めたくて、いろいろなことを試してみる。それなのに、いつも。どこか、なにかが、足りない。穴が開いて感じられる。

しあわせの中にいるのに、ふと。冷たくさびしい風が忍び込む。
どうやって、そのさびしさや足りない感じとつきあうか、考え続けてきた。試し続けてきた。

今日、お弟子講座でのデモセッションのなかで扱われたのが、誰にも愛されない(気がする)問題だった。目の前で行われるデモセッション。クライアント役に自分がなっているわけではないのに、心の奥がひびく。

デモセッションでは、師匠が弟子のいる前でカウンセリングやセラピーをしてくれる。セラピーの組み立てについての解説を交えながら、セッションは続く。その中で、「わたしを見て欲しい」気持ちは、心の奥へ親への問いかけを隠しているかもしれないという話が出た。それは自分を愛してくれる人(母)に、わたし自身が聞いてみたかった言葉とも重なった。

わたしは、ここにいていいの?
わたしは、あなたを大好きになってもいい?
わたしは、生まれてきてよかったのかな?

この、言葉たちを聞いて、自分の心の中で同じ言葉を繰り返し始めたら、突然、わたしの涙腺が決壊。そして、なんだかよくわからないくらい涙が出てくる。

とくに「あなたを大好きになってもいい?」

自分から、愛を受け取りに行く言葉に、心ぎゅうぎゅうとする。相手に断られることのほうが確実だとかんじているから、口に出せないし、口に出しづらい。

そして、愛を受け取りに行っても、いまいち、相手を信用しきれていない。あなたを好きになってもいいかと、許可をもらいに行くくせに、許可をもらえても、逃げる準備をしないと、相手に近づけない。いつ断られるか、わからない。その恐怖に心ゆれる。

わたしの人間関係は、全て、その癖が濃く薄く色々な場面で顔を出す。

わたしが近づきたい位置にまで近づくと、逃げ遅れそうで怖いから。ちょっと遠めの位置で我慢する。本当に近づきたい位置との間にすき間ができる。だから、心にすき間風吹くんだ。

以前に比べると、自分自身の心は癒されてきている。だから、もう心揺れても涙はそれほどでないと思っていたのに。まさか、ここまで涙が出てくると思わなかった。

目の前で起きているセッションを観察しながら、まだ泣いた。

それでも、成長しているわたしもみつけた。
わたしが「生まれてきてよかった」と、自分の腑に落ちていた。以前は、この言葉にもかなり心揺れて、吐きそうになるくらい受け入れづらかった。けれど、そこには、わたしの心は揺らがず、泣いていたころを懐かしく感じられた。

いつか。「あなたを大好きになってもいい」のかと、自分を愛してくれる人にも。自分が愛する人にも。聞いてみることができる。そのときが来るまでは、まだ泣くんだろうな。

デモセッションの時間は、自分が思っていた以上に心が揺れて。感情も大暴れした時間だった。椅子に座って、見ていただけなのに、ずいぶんと疲れた。ぼんやりと、頭の芯にもやがかかったみたい。

チーズケーキ、食べて元気だして。帰ろう。

久しぶりに、感情が大暴れした。驚いた。
感情を持っているわたし自身を自覚し、うれしい。
まだ癒されない思いが残っていて、がっかり。
それでも確実に、自分の心の痛みは軽くなっている実感を喜ぶ。

なんとも複雑な気分。

帰ったら、たっぷりの湯船につかって、身体もリラックスさせよう。
白湯も多めに飲んで、感情の揺れを流して動かす準備をしよう。

今日は、早めに寝よう。頭のもやも、眠れば晴れるかな。

そんなこんなの帰り道。いつも乗っている地下鉄でおろおろ。

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