抜け殻な時間も、自分に戻っていけると信頼する

この連休、セミナーに参加したり、おいしいもの食べに行ったり。私にしては、活発に動きすぎたみたいで、この2日間、ちょっと抜け殻みたいになっている。

「たのしい~!」と遊び過ぎたあとにくる、抜け殻な時間。昔は抜け殻になる自分のことを、かなり責めていたっけ。

今は、比較的、おだやかに。抜け殻になっている。じんわりと、時間がたてば。自分の内側にエネルギーが満ちてくると知っている。

*

抜け殻になってしまう自分を許せなかった時。そのころは、なにかをしていないと自分には価値がないと思い込んでいた。

どうにかしておかないと、居場所がなくなる。成果を上げなければならない。頑張って、がんばって、がんばらないと。自分が存在してもよいとはいえない。

それに、動けるときに動いておかないと。動けなくなったり、役立たなくなったり、期待に応えられなくなったら、わたしは「捨てられる」。

動いていた理由のほとんどは、恐怖から。

捨てられないように。価値があると思ってもらいたくて。多めにたくさん、頑張っていた。そうしないと、生きている価値も存在する価値もない、と心の奥が信じていたんだと思う。

今は、穏やかだ。

自分ががんばれていても、そうでなくても。どんな形のわたしであっても大丈夫な、安全な場所ができたから。

安全な場所で、気もちは丸くねそべって。自分の内側の元気が戻ってくるのをじっと待つ。焦ってくることもあるけれど、それでも、待つ。

待っていれば、自分が自分を取り戻して。また、動いていける。だから、自分を責めなくなっていった。

安全な場所を探していた間、安全はどこにもなかった。周りの景色も、幕がかかったようにおぼろげで。食べるものも、あまり味がしなかった。

自分が、自分の中と戦うのをやめ。「捨てられる」と感じてきた理由を、何層もはぐように向き合って。泣いたり笑ったりしているうちに、自分の中が穏やかになっていった。

怖いままで、怖さをながめてみたら。思っていたほど、怖くないものもあった。

ひとりで見るのは怖いものも、誰かと一緒にみてみたら、違う目線がわかって怖くなくなったこともあった。

身体やしぐさに癖がでるみたいに、心にも癖が出るから。自分の癖を知って、早めに軌道修正をとれるようになったことも大きい。

たくさん試して、たくさん成功して。でも、失敗もして。やり直して、また成功して。いったりきたり、ゆらゆらしながら、少しずつ。平穏に近づいていった。

探していた間、どこにもなかった安全は。ふと気づいたら、そこにあった。安全な場所にいた、とぽつんと腑に落ちた。

だから、今。

わたしが抜け殻な時間を過ごしていても、いったりきたりの途中なだけだと信頼できる。抜け殻な時間に閉じこめられて、二度と浮かび上がれぬわけでないと知っている。

この抜け殻な時間が、いずれ終わって、また。たのしくやりたいことを、はじめるエネルギーが戻ってくる。とわたしは「知っている」。

この「知っている」。自分が、じぶんのことを信じている感覚。それが自信と言われるものかもしれない。

浮かぶときもあれば、沈むときもある。
沈むときもあれば、浮かぶときもある。

いったりきたりしながら、それでも「自分であろう」と戻っていく。

だから、今日も。平穏に。抜け殻な時間の中にいる。自分が自分でいることを信じている。

田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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