子(ネズミ年)⇒ガネーシャ神 ⇒ お金

ネズミ年のあれこれを、まとめてみようと思い立つ。(そこから、右往左往しているのは通常運転と思ってあきらめてくださいませ)

子(ネ)は、種が芽吹く様子をあらわした形。ものごとのはじまりを示すものだ。だから、十二支のはじまりとしてふさわしい。

けれど「子」は、まだ芽吹いてはいない。これから芽吹こうとする予兆をあらわすもの。はじまるまえの種として、命が約束されている状態。

ガネーシャに隠されたネズミ年の話~ネズミは心の象徴~ という話を弟子仲間な蓮さんからきいたので。それによるなら、ネズミは「いつも何かを恐れ、せわしなく動くネズミは、私たちの心の象徴だと言われている」らしい。

そうだとしたら、人は必ず幸せなり成功なりを約束された存在だと言えるように思う。

だって、何かを恐れてせわしなく動く心を持っていても、これから芽吹こうとする力をそこにもっているのだから。

ことしは、ネズミ年。子(ねずみ)は、はじまり。多産の象徴でもあるネズミは、やっぱり富の象徴でもある。ガネーシャ神も富の神様として、みなに愛されているから。今年がガネーシャ神の年であるなら、ネズミもあわせて、めっぽう「富」やら「多産」やら「知恵」やらにご利益ある歳でありそう。

そのこと、いいように解釈して。今年は、自分のためにたくさん考え、考えたことをどんどんと外へ出す時にするのはどうだろう。

そして、 ガネーシャ神はゾウの姿。あの、愛くるしいつぶらな目。そして、ぱこんとした耳。全部かわいらしい(ああ、神様にかわいらしいは失礼かもしれないけれど)。

ガネーシャ神の姿は、お祝い事で必ず目にする。インド系の知人からもらった挨拶状、結婚した時にも出産した時にも、カードの中にゾウの姿(ガネーシャ神)が描かれていた。それくらい、一般的でみなに愛されている神様らしい。

そのガネーシャ神は「いろんな物事を微細に識別する知恵を持っていて、必要なものと必要のないものとを、正しく取捨選択できることの象徴」だという。

わたしも、そうありたい。必要なものだけをすくいとって、集中してものことにむきあいたい。自分の持っているエネルギーを、ほんとうに必要だと思うものだけにかけるのだ。

そうだとしたら、わたしは何を残すだろう。何に、自分のエネルギーを注ぐだろう。

そのとき。他の人のことを考えている場合ではない。自分のことに集中するんだ。他人や周りの目を(勝手に)想いいたして自分に制限掛けることなく、自分の心の底が欲しいと思うものにエネルギーをかけていこう。

(といいながら、周りを気にしてしまう小心者なわたし。そんな私がいると、自分で知っておこう)

そして、もっと図々しく。晴れ晴れと、自分自身を生きてみよう。

もし、周りがなんにも言ってこないとしたら。ほんとうは、わたし、何をしたいだろう。どうありたいだろう。

きっと、そうやって見えたものが、自分軸なわたし。

そんな私を大切にしたい。そして、 福福しく、スキップするみたいにわらってお金のこと、友人のこと。紹介できる自分でありたい(ほんとうに、そう思う。友人もお金も。もっと気軽に向き合いたいの)

……ガネーシャ神だったり、子年から、ずいぶんと話はそれてきたけど、そんな気持ちの今日でした。

友人やお金を思うたびに思い出すガネーシャ神(木彫り)

▼ ガネーシャ神は富の象徴ていわれているので「お金」のことを考えた。お金をまるで友人のように話す人と会って、お金について考えた日のこと

田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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