「お金」とのかかわり方を改めて考え始めた日

起きるときに、おもしろいくらいに重なって物事は起こる。
同じようなことが、これでもかと。たたみかけるように問いかけられてくる。確認されてくる。

今日、いちばんにわたしのなかに浮かび上がってきたものは「お金」。
お金について問いかけられた日中でした。そして、まさか。お金の話で大笑いするとは。

お金がない!のあせりから抜け出すまでを振り返る

4~5年前、わたしの定番の泣き言が「お金がない」でした。

「お金がない」から、いろいろなものに落ち着いて取り組めない(と思い込んでいた)。

でも、命の危機があるほどにお金がない。といった事実はなく、普通に暮らせていた。
お金でないけれど、商品の現物支給(野菜や特産物が月に数回届けられる)があった。

そうわかったら
お金がない!のあせりは幻だった。あせる必要のないことをあせっていた。
自分のもとに 物品や気持ちが届けられているという事実を確認できた。

そして今。「お金がない」というあせりは持っていないな。とも気が付いた。

お金は触媒のようなものだ、と今は思う

今、わたしは「お金」を触媒だと感じています。 じぶんの肉体や身体の内でおこっている反応・感覚 を現実の形や行動に移していくための出発だったり、エネルギーだったり。

「会いたい人に会いに行こう」
「より分かりたい、より知りたい。そして伝えたい」
お金や現物があるから、より行動が広がる。 実際の行動を具体的に起こすことができる。

「おいしいね、ごちそうさま。誰とわけあおうか」
わけあえる誰かを、嬉しく思い浮かべられる機会が少しずつ増えている。

「お金」のこと、他の人はどう思っているの??

お金をどう思っているか。
そのことを人に聞く機会は、なかなかない。聞く機会がないのは、日常の話題にするほど、お金についての興味を私が持っていないからかもしれない。

でも、なぜか今日は。
はじめましてさん達とお話をしている中で「お金」の話を聞くことができた。

生き物のようなお金!

その方にとって、お金は生き物のようなものらしい。

ゆるキャラのように人に似せた姿を持つ「お金さん」ではなく、
リアルな紙のお札そのもの、金属で作られている硬貨そのものが、生き物のようにかわいらしい、とのこと。

わたしには、 家に住んでいるネコのように、 「お金」を愛でたことはない。

日本最高技術の詰まった工業製品として、 お札そのものを うっとりとながめたことはある。
お札の模様は、細くこまかなラインで書かれている。ホログラム印刷や隠し文字がとても小さく、美しく配置されたお金。しみじみ観察をして、感嘆のためいきをついたこともある。

でも、 感嘆のためいきは、お札への驚きとデザインへの関心があるだけ。 一方的に感心して、そこでおわるもの。お金をかわいがろうという意欲は、そこにはない。

けれど、生き物のようにお金を見るのなら。
ネコの毛並みや色合いをながめるみたいに、お金のデザインをながめて、
ネコに餌をやるときのように、お金の調子(株価とかかな?)観察し手をかけるだろう。育てようとするだろう。

このお金はなにをしてるのだろうか。と、今日のふるまいを観察してみるかもしれない。

そして、なによりも驚いたのが「お金」のことを話しながら笑っている、その方の顔を見たこと。
いとおしそうに楽しそうに。お金のことを話すのだ。

あんなにも笑顔で。福福しくかんじる話し声。スキップして踊ってるような笑い方だった。

電気信号なお金

お金は電気信号になっている。そのことも改めておもい至った。

自動改札機でピッ!
カードをタッチすると運賃が計算されて交通系カード(Suicaなど)から支払われる。

そのとき、お金は電気信号の形で動いている。実際にお金の現物(硬貨や紙幣)が直接、支払われるわけではない。

お札などのお金は、金や銀などの形あるものをもとに、価値を決めてきた。
電気信号でやり取りのされるお金は、信用や信頼など形のないものをもとに、価値を決める。

形がないものから形があるものへ。
その変換の間をつなぐのは人間。人の思いを伝えるために、形あるものを生み出す。

お金を考えていたはずなのに、やっぱり人間のことを考えることになった

信用や信頼と「友人」と

「友人とは何か。どこまでが友人なのか」
最近、考える機会が多い。気づいたら、そのことを考えている。

友人だ、とじぶんが思えば友人だ。
じぶんだけが友人だと思っている片思いの友人もあれば、お互いに友人だと思っている両想いな友人もある。
長続きしている友人もあれば、あるときはそばにいて離れていく友人もある。

その友人度とでもいう親密さの濃淡は、信用や信頼の濃淡から来ているように思える。

友人との親密さが信用や信頼の濃淡によってあらわされるように、 お金の価値の大きさも信用や信頼の濃淡で表されるのかもしれない。

友人のようにお金と付き合う

「お金」を生き物だと考えることが難しくても、「お金」は友人の一人だと思うことはできるかもしれない。

お金を友人のように扱うとしたら。
お金をどうしたいか。何に使いたいか。どう使いたいか。
どうやって触れたいか。どんなときにどうしたい??

お金とのつきあい方関わり方を変えていく、きっかけになった気がした今日のお昼のことでした。

そして、わたしも福福しく、スキップするみたいにわらってお金のこと、友人のこと。紹介できる自分でありたい。

そんなこと考えていた昼ごはん。
会場入口のドアの図柄は「富の神様」ガネーシャさん

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