自分の居場所をひとつ定める。集中と安心と、気配りと。

裏でこっそり。何かを隠して……いるつもりはなかったのだけれど、自分の内側を切り分けておきたかった。そうした方が自分で安心できる気がしていたから。分けておきたかったのは、書いてるわたしと/セラピストやってるわたしと/家でぐてっと体のようすに振り回されそうなわたしと。

切り分けておけば、それぞれの時間を過ごせるかしらと活動を分け、ブログも分けてみたけれど、しょせん動いているのはわたし自身。結局の根っこの部分は全部わたし自身そのもので切り分けようがなかった。だから、もうあきらめた。書く場所も、ひとつにしよう。

いろいろ、わたしは自分に自信がない。どこか、逃げ隠れ出来る場所をとっておきたい。自分だけが書いているブログも数か所つくっておくことで安心していた。

でも、その安心。うっそりとした「逃げ」にもなっている。ぎりぎり最後の瞬間に自分が逃げる言い訳を準備してある。

「ここは〇〇用のブログだから、これくらいでいいか」とか、「これは、どのブログに書けばいいんだろう。わかんないから書くのやめよう」とか。書かない言い訳づくりに使ってたことに、ようやく思い至った。

何かに似てる構造だな、と思ったら「パートナーひとり1役説」と同じだなと。仕事でがっつり組むパートナー、家庭生活のためのパートナー、性的役割持ったパートナー……パートナーたちには、それぞれ違う役割をふりわけて。自分が傷つかないように保険を掛ける。

仕事のパートナーとは仕事だけ。家庭生活のためのパートナーとは家庭生活に関することだけ。分野を決めて関われば、めんどうな私でも何とかしてもらえるだろう。もしも、何かあってパートナーを変えることが来ても、すべての分野でパートナーが入れ替わることはない。必ず、だれかはひとり残るから安心だ。などと長らく考え、そう行動してきていた。

それなのに、この数年は、なんとなくパートナーがひとりで落ち着いている。ひとりしかいないパートナーだから、以前よりもずっと、相手に気を配るようになった。人づきあいの練習、距離を測る練習、自分の形を確認する練習、全部が練習でわたしにとっての人体実験。

そうしたら、心が少し穏やかになった。気づかう相手が減れば、自分の気分が落ちて再起動をかけた後、人間関係の再接続や距離感の再確認も手早くなってきた。パートナーがひとりでも、わたし自身が安定できている時間が増えた。

書く場所だって、たったひとつにしてみたら。同じように、安定して書いていける? 書くための中身にもっと気を配れるようになる??

ひとつの場所にすることをようやく決心したのは、カウンセラーのお弟子さん講座で聞いたことばの影響もある。

カウンセラーはわんさかいるかもしれないけれど「 カウンセラー ×○○ ×○○ 」と属性をふたつ、みっつ掛けあわせていけば、100万分のひとりになれるという。今のわたしだったら、カウンセラー×小説書き×旅好き×エネルギーリード×鉄道好き×……こんな風に、自分の属性や好みをかけあわせる。この組み合わせなら、たったひとり、わたしのことにたどりつける。

そうだとしたら「体験を何かコンテンツにしようとチャレンジしていたわたし」も、「日常をきりとって表現してたわたし」も、「心理やカウンセラー目線で書こうとしてたわたし」も。みんな全部、一か所に置けばいい。そうしたら、たったひとりの私をあらわすブログになる。

ということで、ブログをここひとつだけにする実験。ここを自分の「場」にする。自分の居場所として、ここ、ひとつに定める。ここにいる間、わたしは私。随想を書いてるわたしも、セラピストやってるわたしも。どんな属性をつけたとしてもわたしはひとり。そのひとりを全部、この場所で。

そうしたら、気づかうブログが減って中身に集中できるかな。心穏やかに安心して、ただ書く事に心配れるだろうか。どうだろう。

とりあえず、ひと月やってみるかと心決める。

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