「自分と向き合う半年を」とウェルカムスピーチいただいた、今日はプレセミナー。何度も何度も繰り返し、聞いたのは「私はどうしたいの、と自分自身に問い続けよう」ということだった。
私はこうしたい。
それぞれが思うように、それぞれの自分の形で、自分を自分のやり方で自由に表現する。
お弟子さん1期で受講していた弟子先輩たち4人のスピーチも、自由。みんな、ばらばら。それぞれの言葉でそれぞれに表現し伝えてくれる。
表現の形はあんなにも違っていたのに、根底に流れるメッセージがとても似ていた。半年の受講期間のあいだに、仲間と居場所ができたらしい。格好をつけずに自分と向き合い、「私はどうしたいの。何がしたくて、どう表現したいの」と問い続ける時間だったそうだ。
スピーチの後は、ぎっしりとセミナールームにあつまる40人強のみなが、自己紹介をしていった。前に立ち、お弟子さん2期な仲間たちの顔を見ながら、その人の声での自己紹介、一人1分でぐるりと回る。
持ち時間の1分、名前と住所を話した後は、自由に話しをする。皆、それぞれに、家族構成や今回のお弟子さんに参加した理由、趣味のことなど思うままに話をする。1分間は思っているよりも長い。
そして、私の順番。あらかじめ自己紹介を考えていたけれど、頭で考え作り上げた内容になっている。だから、天に任せて、思いつきのままに自己紹介をした。話をしている間、自分自身は頭の後ろ側に立っていて、話をしている私を見つめているような感覚だった。
後ろから見ていた私の自己紹介によると、私が心理学に興味を持ったのは、居場所がないからだそう。母親にカウンセラーは職業にならないと言われて、教員になろうとした。でも小さいころから魔女になりたかった(自然界と話をしたり、薬草をつくったり、物知りなおばあさんになりたかった)ので、土木系のしごとについた。離婚とうつ病や解離性障害や記憶障害などをきっかけに、カウンセラーをもう一度、勉強したくなった。カウンセラーをやってみたけど、1年で燃え尽きた。だから、改めて勉強しなおしたいと、私は話した。
自分が話したことを、遠目に振り返るとおもしろい。自分自身がやってみたかったことや、自分の置かれてきた様子が、その1分の自己紹介からうかがえる。自分が問題だと感じていることをはっきりとみせてくれるから、問題を解きほぐすきっかけもみえてくる。
- 私は居場所がなかった、疎外感を感じていた、生きづらいと思っていた。
- 私にとって母親や祖父の言うことは絶対で、祖父-母-私の関係性が小さいころから出来上がっていた。
- 見えないものを人とつなぐ仕事をしたかった。
- カウンセラーに改めて興味を持ったのは、離婚と精神疾患がきっかけ。
- 自分が思っている理想像以外を受け入れたくない、完ぺきを求めようとして燃え尽きた。
どうして、私はそのことを問題だと感じてきたか。
自分に問いかけながら、ときほぐす。そして「私はどうしたいの。何がしたいの」と問いかけながら、より自分自身の中心をみつめていくと、自由なままの私を続けていける。
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先日、ふとした会話の中で根本さんに「なんで今さら、お弟子さんに参加するのか」と聞かれた。何か、もにゃっと答えたけれど、あとで考え込んだ。そのことを、他の人たちの自己紹介をききながら思い出していた。
これまでもいろいろな機会はあったはずなのに、根本さんのセミナーや勉強会へは申し込んでいなかった、それは確かなことだ。心理学講座なら、根本さんの古巣でカウンセラー養成講座を受講済みなのに、どうして、お弟子さん制度には申し込んでしまったのだろう。改めて勉強したいと思ったのだろうと考えてみた。
きっと、私は他人との距離感に向き合いたいのだと思う。
他人と向き合うためには、向き合うことのできる相手が必要になる。人の輪の中で、自分らしいままに、周りとつながれる練習をしたい。心理学やカウンセリングをきり口につながる人たちは、練習相手としてお互いに都合がいい。
もう自分の人生を生きていると、自分自身で知っているのはずなのに、私の内側でぐたぐたとからまっているものがある。そのぐだぐだを整とんするために、自分と向き合う。お弟子さん仲間と勉強していく過程で向き合うならば、責任もって向き合える(はず)。頑張ってみよう。
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プレセミナーで、お弟子さん同期のブログ仲間にも会えた。文字で会っていたけれど、実際に会えるとまた感覚が違う。顔を見ながら話ができたことで、心浮き立つ。
こうして終えたプレセミナーの日。宿題のことも聞き、改めて武者震い。何をするか決めるのも、どこまでやるかを決めるのも、自分自身。いつするかを決めるのも自分。
すべて、自分自身にかかっている。
自分と向き合いつつ、仲間たちとも向き合う半年間のはじまり。頑張ってみよう(と思ったことを覚えておきたい)。