かなり自由にふるまっている方だと思うし、周りからもそう思われる。力抜いて、ぼえっと暮らしていけている方だとも思う。それでも、わたしにとって「友人」に会いに行くのは一大イベントだ。友人から「会おうか」と連絡をもらったら、ほくほくとお出かけできるのに。自分からだと友人をなかなか誘うことができない。
まず、友人と会う約束を取り付けるあたりから、心ざわつく。きゅうきゅうと絞られる心臓をはげましながら、メッセージを書いて友人を誘おうとする。けれど、なかなかお誘いのメッセージを書けない。会いたいからという以外の理由を思いつかないままに自分から友人を誘うなんて、ほぼあきらめていた。
(そんな私だから会いたい人に会いに行けない現象が起きていたのでした)
でも、もう。そんな自分を変えると決めたので。
2週間もためらったけれど、ようやく友人にお誘いのメッセージを送って。友人が時間をやりくりしてくれて、無事、会うことができた。もし、わたしが犬だったら、盛大にしっぽをばしばし振ってちぎれそうになって、興奮してよだれを出してたかもしれない。
会えてうれしかったな。話できてよかったな。
本当にありがとう。
その友人と話をするときは、いつも、ほわんとした空気が流れる。それなのに、ぴかりと何かの火花が飛ぶように心の内にあったものがひっついていく。そして、自分の内に在る思いや願いが形を見せてくる、そんな感覚がある。
強く会いたいと願うとき、わたしの内にもその人に伝えたい何かがある。それは、おみくじのようなものとしてうけとめてもらえる。言葉はあいまいになることもあるけれど、その人の内にあるものと通じ合って、進む道を探るための灯りになる(らしい)。
今日も、お互いに話をする中でそれぞれに、内側から掘り出されてきたものがあった。わたしの内側から掘り出されたのは「私の夢/ライフワーク」についてのこと。もっと詳しく、わたしの夢を書き出そう。どんなわたしで来年をはじめているのか、まず動いてみよう。
友人と話して湧いてきたキーワードは「繰り返す線香花火」のような私は、「ひどいセラピスト」になるということ。これだけで意味不明なので、少し覚書を残しておく。
繰り返す線香花火のようなわたし;線香花火がくるくると、ひかりの表情を変えるところから目が離せないみたいに、周りの人からたのしんでもらえる私でいよう。
ひどいセラピストなわたし;会いに来てくれた人が、身体に入れてる力や気負いを緩めてくれると私がうれしいから、こんなのやってみたらどう?と提案してしまう。それが、もしかしたらおせっかいめいてしまうかもしれない。穏やかさからはちょっと系統違うかもしれないので「ひどい」セラピスト。
それに、わたしは自分を癒すことがまずはじめにある。自分自身の癒しについて考えぬいて実行して、また考える。わたし自身が笑顔ではなうたな暮らしができるように、動いていく。だから、会いに来てくれた人に、わたしの考えや試したことを中心に伝えることはするけれど、自分でどうぞと会いに来てくれた人からは少し離れてみる。寄り添うけれど誘導はしない。だから「ひどい」セラピスト。
話すことで、もわんとしてた自分の内側があふれでる。つじつまはあわないし、言葉にしてみるとどこか違うように思うけれど、それでもこれが考えの出発点になる。そこから、カウンセラーとしてのわたしの活動方針やら得意なジャンルをしぼっていこうとしている。
そして、今、このときに会えた友人と次にすすんでいく夢への道をそれぞれにみつめる。まずは、動いてみなきゃ。
頭のなかにあるけれど、形として外に出てきてなかったものを、見えるものに変えていこう。お試していいから、言葉にしてみて。書いてみて、読んでみて。違っている気がするところを、より自分の心に沿う言葉に書き換えていく。書き換えながら、動いて試してみる。試しながら、言葉を変えて書いてみて、また動いてみる。そうして、夢への道を歩いていこう。
わたし達って、これで満足してるのもったいないよね。
もっと!を望んで、この先に向かって歩いて行ってもいいよね。
この先に在る夢に向かって歩いてみよう。がんばろうね。
前回、友人に会ったのはカウンセラーとして活動を再開すると決意した直後のことでした