会いたい人に会いに行く。わりあいと自由に動いているので会いに行っていると思っていたけれど、会いに行けない相手もあると思い出した。
会いたいのに会いに行けない相手は、わたしにとってのあこがれの人。わたしがなりたい私のパーツを持っている人。会いに行けない理由は、その方の時間をとるのが申し訳なかったり、自分はまだまだ及ばないから申し訳ないといった不足感を味わったり。そのくせ、その人に会いたくて悩む。
わたしは、あなたのそばにいってもよいのでしょうか。お邪魔ではありませんか。
この夏、たてつづいて会いたい人たちが一時帰国した。お話をしたこともあるし、一緒に茶飲み話をしにいったこともある。友人に入っているとは思う。けれど、もっとその方々にとって近しい方がたくさんいる。短い滞在期間、やりたいと思ってることがいろいろあると知っている。
そうなると会いたいと言えなくなる。滞在時間が少ないのに、私が会いに行くのはなんだか違って感じられる。直接は会えないけれど、メッセージやブログなどとおして、文字では会えているのだから。がまんしなきゃ。
自分勝手に、がまんして。自分から近づかずにいたのに、私には会いに行く資格がないのだと、がっかりする。会いたい人に、会いに行けない。
でも、会いたい人に会いに行けているときだってあるのだから。会いに行ける時と、会いに行けない時。その違いがどこにあるのか。わかってきたら、勇気の出しどころもわかるのかもしれない。
勇気の出しどころがわかったら、「ここにいて、本当にいいのだろうか」 と繰り返し噴き上げてくる感覚や疑問もとけるのかもしれない。