「ちゃんとやる」と、自然体を遠ざける

この週末、お弟子さん制度5期へファシリテーターとして参加する。師匠は、カウンセラーの根本裕幸さん。わたし自身は弟子2期で参加したから、卒業しておよそ1年半くらい?

この最近、なんか気分の重い自分。

また、いつものように「初めて」に緊張し、「ちゃんとやらなきゃ」と自分で自分にプレッシャーをかけているなと思い出した。

卒業してもう1年半が経っているから、先輩っぽくみてもらえる自分でいたいな。
ちゃんとした「カウンセラー」っぽい部分を見てもらいたいな。
などなど、いろんな期待を自分自身に向けて、なんだかカチコチに固まってるなと感じた今朝。

初めての場、初めての人たちのなかでは、これが基準だろうと思えるモノコトが見えづらくて、自分自身のふるまいが浮ついて不安定になりやすい。睡眠時間も少なめになり、緊張が多め。

わたしは人を観察し、人のことは好きなのだけれど、人とじっくり会うのは怖いのです。周りの思うであろう「ちゃんとした」何かになれない自分を見透かされるのが怖いし、周りの思っている「先輩」や「カウンセラーらしさ」という期待に応えられない自分にがっかりされるのが怖いのです。

ああ、自分自身が作る場ならば、早々と諦めもつく。ひたすらに自分自身の「たのしい」「おもしろい」を追求することで、みんなとたのしみおもしろがる側へ意識が向くのだけれど……師匠のつくっている場「お弟子講座」で、異端のふるまいをしそうな自分自身が、どうにもしんどい。

と、思っていた自分を朝のうちに思い出した!

ぶるんぶるんと、身体を揺らして、肩の力をとってみる。ふううっと息を吐いて、深呼吸してみる。そして、とんとんとんとん、首から胸の辺りで震える自分自身の心臓の音の気配を感じ取る。足の裏が地面についていて、わたしはわたし自身の身体の中で「わたし」を生きていると思い出す。

講座に行く前に、いつもの場所で日光浴

「ちゃんとやる」は自分を別の何かにあてはめる言葉かもしれない。ちゃんとやろうと思えば思うほど、自然体な自分から遠ざかる。

だから、ちゃんとやらなくて大丈夫。今日は、お弟子のサンプルセールみたいなものだから。いろんな弟子が居るんだよの、例のひとつになれればそれでいい。

いや、サンプルセールというのも違うな。今日は5期のお弟子さん達のための弟子講座のじかん。わたし自身の様子も観察するけど(わたしも観察されるかもだけど)、それよりも5期の弟子仲間さんたちが学んでいく場でより過ごしやすく動きやすくあるように心を配るのが優先事項ねと、思い出した。

そう思い出したら、気分もおだやかに。元気よく通常運転の再開。視点の向きを変えて、自分の自然体を思い出せばこうやってエネルギーがまた自分自身に巡り始まる。

さてさて、この週末2日間。何が見えるか、何を思うか。
たのしみに、今日を始める。

緊張したかなというときは、上の方へエネルギーがたまり、身体に緊張が出ていることが多い。だから、身体をほぐして自分のエネルギーを体中に回すと「自分」に戻りやすくなる。

試してみたら自然体の「自分」に戻れるかも……

  • ぶるんぶるんと、身体を揺らして、肩の力をとってみる。
  • ふううっと息を吐いて、深呼吸してみる。
  • 自分自身の心臓の音の気配を感じ取る。
  • 足の裏が地面についてる感触を感じる

自然体の自分で、より自由に!

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

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