居場所は、ふと「在る」になる

そろそろ月末。そして、きょうは金曜日。手帳を眺めつつ、まるっと今月を振り返って来月をおもう日。

手帳には毎日、今日の感謝を数個ずつ落書きしてある。今月の予定表やブログなど、書いたものと記憶をたどって感謝を思い出す。数える。

▽月末だから、このこと考えてみた。

「ありがとう」を伝えたい人、今月のtop3は誰だろう?
「ありがとう」を送りたいもの、風景。何が心に残った今月だっただろう?
ひと月分のありがとうを、今日は数えてみよう。どれくらいのものに助けられて私はここにあるんだろう。

この11月に思ったこと、感謝

「父親、母親への感謝を20個以上」という宿題もあったことだし、月初めは実家に帰っていたことだし。いつもにまして、父母のこと思う月だった。母について感じている複雑な思いを思い出し記憶にほとんど残っていない父への感謝も思い出した。

そのお陰なのか、今月の感謝は自分がここまで年月を重ねて来られたことへの気持ちが多くなった。

父母がいて、私が生まれて。そこから、いろいろな人に会ってここまで育ってきた。記憶に残っていなくても、その時々に感じたことは心の根っこにはほんわりと残っている。

生まれてきてから、今までにたくさんの人がいて、それぞれの人といろいろな距離ですれ違ってきて。その時々に、寄り添って、離れて。その繰り返し。寄り添っていた間も、離れてからも。思い出したり、思い出さなかったりしながら、人が暮らしているこの世界の中で生きている。

居場所はつくるものとはいうけれど

人の心の距離が近くても遠くても、意識して思っていてもいなくても。誰かが自分のことを思ってくれた時間があったことは確実だ。だから、居場所がない。そう、思ってきた。けれど、居場所はちゃんとあるんだね。自分が居場所と認めていなかっただけで、わたしの居場所でいようとしてくれた人たちがいたことを思い出せた。その居場所を自分が受け入れられるかどうかは、また別のお話になってはしまう。

居場所はつくるもの。とはいうけれど、さて。どうやって作ったものか。自分の中にある何かと交換したり取引したりすることでできるものではないだろう。ふと、気づいたときに居場所が、ただ在るのだ。

まだ、居場所がない気持ちは抱えているけれど、ちょっとずつ小さくなってきて。いつか、居場所のことすら考えなくなる時、そこがわたしの居場所になっている。そのとき、居場所が在ると自分にわかる。

毎月、月の終わりに数えてみている「ありがとう」は、積み重なっていくと居場所に化ける。そんな気がふとした。


田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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