友人が夢に近づいた姿を見て。しんみりしたり、あったかくなったり

友人が短編小説の連作集を書いた。まだ外には出ていないけれど、仲間内で読ませてもらう機会をもらった。そのおはなしのなかにある景色がやわらかくて。友人から見た世界はこんな風に見えるのか、と心つかまれる。文体がかちかちとブロックのようにはまり、でも表されるものがやわらかく、つるんとした印象になる。こういう表現も好きだな、おもしろいな。

「書く事へコミットメントする」と仲間の前で宣言し、お馬さんの前で誓った友人は、ちょうど1年後、仲間うちに短編小説完成させてみせてくれた。仲間の前で誓っていた友人の1年前の姿を思い出して、心がギュっとなった。あったかい気持ちとしんみりとした感覚が同時に押し寄せた。

友人たちの夢や誓いを聞いて、ちょうど1年ぐるりと1週。

しんみりとした感覚は、わたしのもっている「仲間」という感覚につながる。わたしはまだ「仲間」という感覚そのものを腑に落とせてないみたい。

仲間うちに公表して作品を見せたあの友人と、作品をつくっても仲間うちに公表できない自分。この違いは、仲間を信頼できるかどうかによる気がする。人を信じられて「仲間」を思うことのできる友人をうらやましく思った。

自分の書いた作品(おはなし)を読まれたくない。でも、読んで欲しい。

家族や仲間うちほど、読んでもらうのが怖い。何か伝えられることを恐れている。もし、読んで書くことが怖くなったらどうしよう。書けなくなるかもしれない。書くことを責められたら、うそつきだといわれたら?

そのくせ、読んでもらいたいとも思っている。読んで感じたこと、思ったことを伝えてもらいたい。わたしの見た景色を一緒に見てもらいたい。

この相反する感覚は、人に対するわたしの距離感と似ている。怖がっているくせに、一緒に居て欲しい。

相手から近寄られると怖いから、自分から近寄る。そして、怖くなったらすぐ隠れる、とじこもる。元気をとりもどしたら、また近づいてみる。でも一緒に居続けるのは怖い。身近な人や身近になりたいと思う人に対するほど、怖さが大きくなる。

人をとても好きだと思っているけど、一緒にいるのは怖い。近づくのは怖い。

これを乗り越えたら「わたしのおはなしも読んで」と仲間うちに公表できるのか。
「わたしのおはなしも読んで」と公表すれば、これを乗り越えられるのか。

順序があるのか、どちらが先だか。それはわからないけれど、「わたしのも読んで」と公表できる時を楽しみにしつつ、しばらくは自分の心と向き合いながらカウンセラー修行をメインに続けてみようか。

夢を語ってみるけれど、その夢は自分に似合わないとどこかあきらめている。そのあきらめの気持ちが浮き彫りになった自分にしんみりとする。

それだけしんみりしたくせに、あったかい気持ちも同時に湧いている。

書くことにコミットする。と周りにも宣言し、それをせっせと自分なりに続けてきた友人。コミットするまでにもブログを書いて、自分の思いを表現して。表現しながら、自分の心を癒して、周りにも勇気や感情の揺れが届いてくる。

でも「書く」と友人自身で決めてから、少しずつ、書かれている景色が色を増やして。根っこが力強くなってきて。こうやって素敵になるんだなあ。だから、周りにも応援されながら書いていけるんだな。書いたものを中心に、人の輪がひろがる景色が底にひろがっていくように思えて、ほんわりした。

だから、おめでとう。はじめの一歩か二歩か。それはよくわからないけれど。自分自身で決めた形、宣言した形に近づいている、そのことに。たくさん、おめでとう。

自分自身も。も少し絞り込んで「これ」という夢の形を決められるかな、どうだろう。
でも、自分自身でこうすると決めて、そこに向かっていくならば、あの友人のように光あつめていけると知ったから。わたしも、光あつめて進んでみようか。走ってみようか。

夢を目指して、どかどかと駆け抜ける。
勇気をみせてくれたように感じたお馬さんたちの走り。

仲間とは、友人とは。その定義が、いつもびみょうな感じに私を惑わす

田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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