もう自分のなかで決めていることがあって。でも、そのことがちょっと不安で、もう一押しが欲しい時にも、人はだれかに相談したくなる。
相談という名前の、期待。
飛び込み台のすぐ脇まで、自分で寄ってきて立ち上がったのに。あと、一歩で飛び込めるのに……飛び込む勇気が出ない。踏ん切りがつかないから、もう。誰か、わたしを突き落としてくれまいか。そうすれば、すぐにでも飛び込めるのに。
自分が飛び込む理由を自分で決めきれなくて。自分で覚悟したつもりでも、最後の一歩が怖くて。
最後の一歩に寄り添ってほしくて、生まれる期待。
その期待も、度が過ぎると。水に飛び込んだ後に自分自身の重しになってくる。
「決めたのは、あの人だから」と、最後の一歩に寄り添ってくれた気持ちを盾にして。動けない自分への言い訳を作る。
だから、最後は。
自分で決めて、自分から水に飛び込む。
自分で決めて、自分から水に飛び込むことをやめる。飛び込み台から離れる。
ゆっくりでもいい。無様でもいい。
自分が理想とする形に飛び込めなくてもいい。
ぎりぎりの水際まで来たけれど「やっぱりやめる」でもいい。
とにかく、自分から飛び込むこと。自分から飛び込まないこと。
GO!進めも、STOP!止まれも。自分が決める。
自分が思ったように、やってみる。やめてみる。
自分が決めて、自分で行動すること、動くこと。
それが、その後の自分を信じる力になる。
—
相談という名前の「期待」を持ったときは、自分の内にある気持ちに気づくチャンス。
そろそろ変わろうと、自分が決めている、その時がそこまで来ている。
わたしは相手に何と言ってほしいのか。何を望んでいるのか。
何と言われたら、自分が安心できるのか。
自分の内を探ってみよう。そして、自分なりの考えや安心をみつけてみよう。
そのうえで、相手に相談する。
そうすれば、自分軸を持ったままで、相手の意見も聞けるから視点が倍に増える。安心感が増える。
誰かへの相談の「期待」は、自分の内にある気持ちに気づくチャンス。
自分を知ったうえで、相談して寄り添ってもらえた安心感は、自分にとってのお守りになる。