「好き」がわかると安心な場をつくることができる

「好き」と思えるものがあって、「好き」をはっきり自覚できている。

この種類の「好き」には、なにも迷うことがないのだ。
迷おうにも、理由なんて特になくて好きだから。迷うことなく、好きだと言える。

「好き」というより偏愛に近いかもしれない。もしかしたら溺愛かもしれない。
かたよった愛。溺れるほどの愛。
それは、理由もなくただ、ただ好ましく。大切に思うような感覚。

—–

そのほかに、もう少し日常に近い「好き」がある。
迷うことなく好きだといえるほどではないけれど、自分の中で「好き」だと感じているもの。

この「好き」は、本当に「好き」でいいのかな。わたしよりも、もっとそのことを好きな人がいるから、わたしの好きはそこまでではない。
あの人にくらべたら、わたしの好きは届かないから。好きだといっていいかわからないと、迷ってもいた。

他の人とじぶんを比べ、たいしたことないと、じぶんのことを置いてけぼりにしていた。熱量がないと思ってあきらめようとしていた。
他の人と比べる必要なんてないのに、じぶん勝手に他人と比べて、じぶんを押し込めようとしてた。

たいしたことがないと自分をあなどってたのか。自分勝手にじぶんをあきらめて、自分を閉ざし、押し込めようとしていたのか。
そのことが少しわかり、何かがぴかりとつながった。

まわりと比べることなく、ただ「好き」 。
それでいいのか。迷わなくていいんだ。

嬉しくなってFaceBookに投稿してみた。

「好き」はじぶんの中で「好き」。
ただそれだけでいい。

他と比べて、どうだ。とか
ほかにもっと、熱く好きを語れる人がいるから……わたしのはたいしたことない。とか。
どうでもいい。

わたしが「好き」なら、好きなのです。

じぶんの好きは、それほど熱くなれてると思ってなかった。
でも、他の人からは熱くなってるわたしが見える。

じぶんの中の「好き」
まわりと比べることなく、ただ「好き」
それでいい。

田村洋子.facebook投稿より

「好き」にかける熱量を他と比べる必要はない。
じぶんが「好き」なら、それでいい。

—–

理由なく「好き」といえるもの、じぶんの中で「好き」の熱を感じているもの。
その2種類かと思ってたら、もうひとつ。微妙な「好き」がみつかった。

なにかの利益が欲しくて「好き」なことにしてしまう。どこか、言い訳めいた「好き」。

「好きだと言っておけば、お得になるんじゃないか」という、取引のような感情。
何かを得る代わりに「好き」と言っているような、打算的な感覚。

これも他人の目を気にして出来上がっていた「好き」の種類かもしれない。

他人の目を気にして出来上がる「好き」が増えてくると、じぶんの奥から湧いてくる「好き」が埋もれてわかりづらくなっていく。「好き」が、複雑になっていく。

「好き」という感情は、もっと個人的なもの。
じぶんの中で満足できる「好き」だけでいいはずなのに、どうしてこれほど複雑に考えてきてたのかな。

じぶんから複雑にしておいて、わからないことにいら立つ。
いら立つから、余計に感情が見えづらくなっていく。……そんな負のループにはまってたのか。

個人的な感情はシンプルなもの。それなのに、他人の目をつくりあげて気にしすぎるから複雑になっていく。

—–

じぶんは何を感じているのか。

そのシンプルな問いから、過ごしやすい場づくりや人との関係がはじまる。

何を感じているかがわかるようになれば、どうすれば心地よくいられるかを考えられるようになる。心地よく過ごす工夫をじぶんなりに試して確認できるようになる。
心地よく過ごすことをじぶんで確認できるようになれば、安心な場をじぶんで作れるようになる。

じぶんは何を感じているのか。 じぶんは何を「好き」と感じるのか。
繰り返し、こころの奥と身体の感覚を観察しながら問いかける。

「好き」は自分なりでいい、とこのとき腑に落ちた

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