母親のことが大好きなのだけれど、母親のことが苦手でもある。さすが、ラスボスはおかんと言われるだけのことはある。
人は生まれるときに、母親のおなかのなかで育ち、この世界へ生まれてくる。だから、一番初めに関わる人間は母親だ。それがあるからなのか、わたしは母親のことを根っこから嫌いになれない。重苦しいといいながら、それでも好きだ。複雑な心境をもっている。
好きなはずなのに、どうして、こんなに母のことが嫌いなんだろう。苦手なんだろう。
母のことを思うと「〇〇してもらいたかったのに(してもらえなかった)」と恨み節が出てくる。もっと、こんなおかあさんだったらよかったのに。あんな風にしてくれたら嬉しかったのに。と、母にすがろうとしている自分に気がつく。
お母さんと言えば、子どもの心を受け止めてくれる存在なはずなのに。奴はちっとも受け止めてくれない。むしろ突き放す。
母にとってのわたしは、世間に見せるアクセサリーのような存在だ。母の思いどおりの良い子どもでないなら、それは母の子ではないとされる。そして、わたしは「長女であるお姉ちゃん」で「母にとっての相談者」。私そのひとではない。
幼かった頃にはいたかもしれない子どものわたしは身を隠し、5歳のころにはわたしの心は大人になり、そのまま身体も成長して大人になった。
今はもう年齢を重ねて、身体も心も育って大人になっているはず。ずっと、幼かった頃に隠れてしまった子どものわたしを心の底から見つけ出し、大人のわたしは子どものわたしを育てていく。そのなかで少しずつ。母に向ける恨み節は減ってきている。
それでも。盆や正月が来ると気が重い。かさぶたが張ってきてもうじき治るはずの切り傷を、またせっせとほじくり出してるような気分になる。
この切り傷、まだ治ってない。母に対して持つ微妙な気持ちが、どうにもおさまらず吹き出してくる。
母のことは好きだ。でも、ぺったりとひっついているのは嫌だ。わたしは私として、わたしの見たい世界を生きたい。言葉にこだわり、興味の尽きない私が持つ記憶のひとつが、生まれた時の記憶だ。
生まれてくる時は、痛い(たぶん)。そして、さびしい。
気持ちよくあったかだった世界。そこからの出発はおっくうだったけれど、外の全てが面白そう。
見える光、かさこそと動く多くの気配たち、感じたことのない乾いた空気。すべてを自分の手につかみたくて、何であるのか知りたくて。狭くて重くて、自分をからめとりそうな道をぐうっと抜けて、外の世界に出てきた。
あれ以上、あのあったかな部屋の中には居られない。外の方におもしろそうなものが待っていた。だから、自分で望んで出てきたはずなのに、あったかな場所から離れることがさびしい。
さびしくて。でも外が面白くて。身体の周りが不安定で居心地悪く、とにかく叫ぶ。
ここにいるよ。だから、ちゃんとつかまえて。違う場所も見ていきたいの、だから早くつれて行って。
でも言葉は通じない。思いも届かない。
これが、外に出てきたときのわたしのはじまりの記憶。「世界をみたくて触れたくて、外に出たのに、言葉や思いが届かないとさびしく思っている」。なんて暗示的な記憶。
母と離れることをさびしいと思うほど好きだったはずなのに、どうして今はくもりなく「好きだ」と言えないんだろう。
それでも、私は。自分が思っているよりも母のことが好きみたい。
「わたし、思ったより母さんのこと好きみたい」て口にした時の、心のゆらぎがそのことを教えてくれる。
母のことが大好きで、感謝していることもたくさんある。わたしが育つまでも今も、母がわたしのルーツであることは変わらない。
それなのに、わたしの思う「おかあさん」でない母のことを許せなくて、嫌いになってる(のかもしれない)。ここは正月の考えどころ。ここがはっきりしたら、もっとお気楽に過ごせるかな。どうだろう。
わたしが、母をひとりの女性だとして接することができたなら、いつか母も私をひとりの女性として接してもらえるだろうか。 母は母でひとりの女性。私はわたしでお姉ちゃん(長女)でなく、ひとりの女性。そう向き合えるときは来るだろうか。
この正月、帰省することにした。母と会うXデーへのカウントダウンが始まる。
▼ やっと、母から離れられた気がした時のこと
▼ 今年のお盆は長女の乱を起こしてみた。