ひとりの女性な先輩としての母と向き合える日は来るか

もしかしたら、母というひとりの女性と向き合えるようになったかもしれない。父の命日に合わせた今回の帰省で、母とふたりっきりのほぼ1週間を過ごしてきた(といっても、うち2日間は友人とおでかけした)。

母だと思うから期待が出てくるけれど、よその女性だと思ってむきあえばもう一声がまん強く向き合える。1週間ほどふたりで過ごし、今回は壊滅的な仲たがいもおこらなかったし、それなりに友好な時間を過ごすことができたように思う。イライラはしたけれど、しかたないなと怒りを鎮静化させるだけの忍耐強さも身に着けた。ちょっとは自分も大人になって、1個人として母と向き合えたかな、そうだといいな。

実家にいたのは学生の頃、20歳代の半ばころまでだ。母との関係は友人のような、夫婦?のような関係で、かなりべったりとお互いの距離が近かった。それが普通のことだと思っていたけれど、親子というには近すぎて反発も多くなっていく。

実家を離れてから母にむけて、ようやく反抗期をおこした。けれどそれはいびつな形。べったりした部分を引きはがしたくて、不必要なほどに母に対していらいら怒り、がつがつと衝突した。幼いころから突き放されていたと感じ、 「母に似ている」と言われたくて、母好みの子どもになろうと努力してきた。その癖がついていたからか、気がつくと母の言葉に飲み込まれ自分を見失う。どれが自分のかたちかわからなかった。

でも、ようやく自分自身を取り戻せた。自分自身を取り戻したら、母に似ている部分もあれば似ていない部分もあるとわかった。似ていなくて当然、わたしは私だった。

わたし自身を保ったままで、母という女性と平穏に向き合うこと、これが私の次の課題だ。母に会う機会がある時には、適切な距離の下で向き合う。そして、離れている時には感じることができている母への感謝を、母に向き合う時にもするりと身にまとえるようにする。

ひとりの女性な先輩としての母と やさしく、あったかな気持ちのままに向き合いたい。

やっとゴールが見えてきた。
田村 洋子

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