種をまいたその直後に花が咲くわけではない。一定の期間が立たないと、芽も出ないし花も咲かない。そのことをよく知っているのに、 自分が試したものことには、すぐに結果が出て欲しいと願ってしまう。 せっかちな私がいる。
どれくらい、続けてみれば結果が見えてくるのかな。
毎日、何も変わらないように思うけれども、長い目で見たならば少しずつ移り変わっている。何かしてみたい、と自分が願い、行動している限りは変化が起きているはず。
植物たちも季節も、毎日みている間は変わっていないようにも思えるけれど、確実に移り変わっていく。せっかちな私だけれど、季節ひとつ分くらいは続けてみようか。結果を待ってみようか。
四季が等しい長さで移り変わるとするならば、1年は12か月でひとつの季節は3か月、およそ90日間。
90日間つづけてみる、その間は結果を待つしかないという感触はどんなものだろうか。想像もつかない。
……と思っていたら、100日間ブログを続けるチャレンジをしていたと思い出した。100日たって見えてくるものの例が、ここでひとつ確実にみつけられる。
今は更新つづけて60日弱。半分を過ぎたところ。
そういえば、私は三日坊主。百日ブログの会に参加したばかりの頃(今から50日ほど前)には「三日坊主だから、続けられない」と嘆きながら参加していた。けれども、もう50日を超えてブログの毎日更新を続けられている。これは、自分の中で確実な変化だ。
ブログの更新に限っていうなら、三日坊主は卒業できたかしら。結果が出たといってもいいだろう。望む結果が花だとしたら、つぼみは確実についていると思う。
あの人が読んでいてくれるかなと、人の顔を思い出せるようになった。書いているその時はひとりでいるけれど、文字をとおして何人もの人たちとつながっている。
人とつながっている温かな感触をありがたく感じている今。アクセスの数が、ただの数字から人間に見えてきた。ページを開いてくれた人が数字の分だけいる。まだその数は少ないけれど、とてもありがたみがあって重みある数字。
少しずつ欲も出てきた。読んでくれた人の記憶をつりあげるきっかけになりたい。心があたたかくなったり。何かを思い出したり。毎日を過ごすときに、何かの支えだったり励ましになったりしていると嬉しいな。
さて、100日のあと、自分の中で「結果」として何をとりあげるか。何を見つけるか。それを楽しみに続ける。