体調や気持ちにおこる揺らぎもバランスとって

世界が波で作られている。人の身体も心持も、波のように揺らいでいる。だから私自身も波のように揺らいでいる。普通な私で在ったり、少し違う世界へ心が隠れている私だったりする。

ちょうど、今の時期。わたしは人間ぽいなと思っていられるとき。毎朝、鏡をのぞいてみても、そこには私自身が映っている。だから、今のわたしは普通な私。安心して、毎日、朝を迎えられる。落ち着いて、眠ることができる。そのおかげで体力は十分。笑っていられる下準備が整っている。

季節の移り変わりにあわせるように、私の様子は大きな揺らぎの中にある。これから、寒い冬を通り抜け春が近づくにつれて、鏡に映っている顔がわたしではなくなる機会が増えていく。鏡の奥から見返している人は私であるはずなのだけれど、私の形をした宇宙人のように思える。身体の感覚も遠くなる。狭い操縦席へ閉じ込められたまま、着ぐるみの肉体である私を動かしているような感覚。触っていても、どこか遠い。別の世界にわたしの心がいて、ここにある身体を動かしているような、遠いとおい感触。 それでも、この感覚が季節行事のように自分の中に起こるものだとわかっていれば、それなりに自分を見つけるやりようはある。感覚が自分から遠くなっても、近くに自分の心があるとわかっていれば、感覚が遠いなりに心は安定はする。

けれども、少し緊張走るときもある。ぷつぷつと数時間単位で記憶が途切れはじめるとき。気づいたら、日付が移動していることもある。記憶が途切れている間の私がどうしていたかを、同じ家に住む家族に聞いてみると、暮らしはそれなりにできているようだ。 ごはんを作っているし、お風呂にも入っていたようだから。ただ、記憶が途切れていることは少し怖いこともある。

記憶が途切れていたと理解できるようになったころには、鏡の中の自分に違和感があるなと観察できる様子に戻れている。記憶が途切れている時の私は、何を思って、何をしたいと願うのだろう。それを知りたくて、記憶が途切れていたと気づいたときには、メールの送信ボックスをみたり更新されたブログを見る。私が書いているのは確実なのだろうけれど、思いがけないことを記録してあって、それはそれでおもしろい。……おもしろい、と笑ってみることができるようになってきた。

毎年まいとし、同じようで違っている揺らぎの形。

春を迎える前、わたしの揺らぎは不安定になる。なかなか、中央に戻ってこられない。夏に体力が抜けて、難しいことを考えられなくなる。少しずつ寒くなるのにあわせて、考えている私が戻ってくる。それを、毎年のように繰り返していることがじぶんでわかってからは、揺らぐじぶんを比較的穏やかに受け止めるようになった。おもしろいと、楽しんで受け止められるようになりつつある。

一日の中でも、揺らぎはある。

朝起きた時は、空っぽで軽くて、真っ白に詰まっていた。日中、いろいろな情報を取り入れて、自分の心とてらし合わせたり書き出したり。真っ白だった頭が、ぐらぐらざわざわと震える空気で混ぜられていく。夜になると休む時間が来る。休める時間が来る前に、伝えたいものや残したい気持ちをことばに変えていく。

一日の中で、自分の思うままにバランスをとって、揺らいでいるものを真ん中へと連れていく。

昼と夜の間でバランスを探す雲

人の身体も心もちも。季節や時間の流れの中で、それなりのリズムをもって揺らいでいる。揺らいでいると知っていれば、落ち込んでも楽しくはじけても、平穏でニュートラルなまんなかの私に戻ってくることができる。

もっと、自分自身をニュートラルに。揺らぎをとらえて、よろよろとバランスをとる。つりあって、まんなかにいられる場を探す。

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