
このごろ、「愛」や「感謝」という言葉が、いつもより耳に届く季節です。バレンタインデーだからでしょうか。(バレンタインデーは、恋人たちを結びつけた聖人の名前からはじまったとのこと。日本ではチョコレートの日のイメージ強いけれど、アメリカでは「身近な人への感謝を伝える日」として広がっているとか)
わたしも、誰かに「ありがとう」を伝えたいな、と考えてみました。
日ごろ、身近な人には、なかなか「ありがとう」って言いづらいもの。あらためて言うと、少し照れくさいし、言葉にすると妙に気恥ずかしくなる。
でも、そんなことを考えていたら、ふと気がついたのです。
一番「ありがとう」を言えていない相手がいる。
それは、わたし自身のからだでした。
わたしのからだは、いつも黙々と働いています。
朝は、まだ目が覚めきらないうちから動き出す。ハーブティを飲んで、少しずつ目が覚めてきたところで、仕事へ。
お昼休みは、急いで食事を済ませて、また仕事。夕方になると疲れが出てくるけれど、からだは文句ひとつ言わない。
夜、面白い本をみつけると、つい寝る時間を削ってしまう。それでも、からだは付き合ってくれる。
考えてみれば、一番近くにいる存在なのに、「ありがとう」を伝えたことがなかったです。
うつ病で入院したことがあります。思うように動けない時間が続きました。
何気なく立ち上がること、歩くこと、息をすること。
そのすべてが、どれほど貴重だったのか。あのとき、はじめて知りました。
別の時期には、手術で入院したこともあります。
動けないから、誰かに支えてもらわなければならない。
ご飯を食べるのにも、眠るのにも体力がいる。
そのことを、からだが教えてくれました。
「普通に動ける」ことは、当たり前ではなかったのです。そう思い知ったはずなのに……
でも、元気になると、また忘れてしまう。(それがニンゲン。仕方ないけど、愛らしい)
それが、今日まで続いてました。
で。せっかく思い出したのだから、今日、からだに「ありがとう」を伝えようと思ってます。
そして、ことばだけでなく、からだが喜ぶようなプレゼントを贈ることにしました。
(わたしの愛の表現法は、ことばとプレゼントなのです。愛の表現法については、また別の機会に)
まずは、着心地のいい服を選ぶこと。
からだに触れるものを、心地よいものにする。
締めつけのない、肌触りのやさしい服を身にまとう。
それだけで、少しほっとする感覚。
お腹にやさしい食事も大切です。
普段は好きなものを食べることが多いけれど、今日は少しだけ、お腹をいたわる食事に。
腹八分目、いや、腹六分目でもいいかもしれません。
(からだにも「休む時間」をあげたいから)
そして、深呼吸の時間。
まずは、ふーっと息を吐いてから。
ゆっくり吸う息とともに、からだが目を覚ましていく。
そんな感覚を味わいます。
(新鮮な空気は、きっとからだも嬉しいはず)
わたしたちは、何かを失ったときに、はじめてその価値に気づくことが多いもの。
でも、そうなる前に、感謝を伝えることはできます。
からだは、いつでもそこにいてくれる。
大きな音を立てずに、文句を言わずに、日々を支えてくれている存在。
だからこそ、ほんの少しだけでも、いたわり大切に思う時間を持ちたい。
「ありがとう」とことばにするだけでもいい。
お風呂に入るとき、湯船の中で「ああ、今日もがんばってくれたね」と思うだけでもいい。
自分のからだに感謝することは、今この瞬間を大切にすることにつながっていく。自分の内の気配とつながる感覚を思い出させてくれる。
誰かに「ありがとう」を伝えたくなった時、その人はあなたにとって大切な存在なのかもしれません。
そして、その「誰か」の中に、自分自身のからだを加えてみるのはどうでしょう。
今日から明日、明後日。
いつもより少しだけ、からだに「ありがとう」を伝える時間を持ってみようと思ってます。
あなたも、どうですか?
*
あわせて読みたい
>>気配として届く、あなたの愛
「愛」も「ありがとう」も、言葉にしなくても伝わることがある。
目に見えない気配として届く愛について書いた記事です。