久しぶりにお寺で瞑想してきました。わたしの参加した時間では、わたしひとり。祈りがずっと続けられてきた場のなかでする瞑想には特別な静かさがあるように感じます。先日、誘導瞑想を20名ほど集まって行ったのですが、それともまた違う、深くて静かな感覚。日課としている瞑想とも違う感触でした。祈りの場での瞑想は身体の感覚がするどくなっていくように感じられます。
身体の感覚がするどくなったからなのか、いろんなことがゆっくり動いていくように感じられました。
身体の奥で動いているかすかな血の巡りや、ふとした香り、肌を撫でる風。それらが記憶やイメージをよんできて、感情が生まれてくる。
その過程を、じっとのぞいているような時間でした。
これくらいゆっくりと、身体の感覚から感情が生まれてくる様子をのぞいてゆけるなら、感情のラベルもかんたんに貼りかえられるように思います。
仏教などの宗教で、自分自身をより深く知るための手段(悟りを開く手段)のひとつとして瞑想が用いられるのには、このゆっくりとした感じを求めているのかもしれません。
瞑想をすることで、心だけでなく身体も観察し、自分自身の気づきに敏感になり、自分のことをよりよく知ることができるようになると考えられています。
そうはいっても、日常のなかで「瞑想」を取り入れる機会はあまりありません。
だから、身体の感覚も意識してみる。
日常の中で、ご自身の感情の動きや周りの環境によって、刻々変化している身体の感覚。それらを感じようとしてみる。
ヒトは身体感覚からの影響を受けています。(自分が思っている以上に!)
寒くなれば、身体がきゅうっと締まり、ぽこんと冷たさが腹に落ちてくる。この感覚は「さびしい」を感じた時におこる身体の反応と似てる。
だから、秋になるとさびしい気分になりやすい。
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で、いつも。ビジョンをかなえる!っておはなしをするので、ビジョンを描くときの身体の反応についても書いておきます。
ビジョンを描く!かなえる!!というときに、ワクワクするほうを選ぶ。
そんなはなしを聞きますよね。その「ワクワク」は身体の反応。
ワクワクとしているときの身体の反応は、不安のときのソワソワにもちょっと似てる。
身体の中で、こそっと起きている反応をとらえた自分が、その反応にどんな感情のラベルを貼るのか。それによって、全く違うものになる。
不安のソワソワととらえるか。おもしろそうのワクワクととらえるか。
身体でとらえたものに、どんなラベルを貼るのか。どんなラベルを貼りたいか。
決めるのは自分自身。
なのでね。身体の感覚におきていることと、感情のラベルと。ばらばらにとらえてみる!
日常の中でも、ご自身の身体で(心じゃないよ)今、何を感じているかな?と観察してみたら、また違った景色が見えるかもしれない。
(心のようすは、おそらく、日常で感じようとしていらっしゃると思うので、あえてここでは触れません)
身体の感覚を観察しようとすると、自分の身体へ意識が向かう。そうすると、自分自身とのつながりが深くなりはじめる。
身体の感覚をまずとらえて、そこにどんな感情ラベルを貼るかを自分で決める。
そんな風にすると、じぶんのエネルギーを簡単に軽くして行ける。
(だって意識は秒で選び直せるから)
おしごとの都合が立て込んできたり、日常がごちゃついてきたなと思う時ほど、自分とのつながりを意識する。すると日常を過ごしやすくなると、わたしは考えてます。
あなたの中で「やってみようか」と思えたら、ぜひ、やってみてくださいね。
それでは、また
田村洋子でした
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