季節の顔と気配のこと

今朝、窓を開けたら、何かが違った。

メールチェックを終えて、ふと顔を上げた時だった。
日の出の時間に、いつもと違う光が部屋に入ってきた。
強さが違う。質が違う。

地表に近い雲が金色に輝き、ピンク色に染まり、そしてまばゆい白い光に溶けていく。
わたしの目が、その光の強さに焼けた。(これが春の光なのかもしれない)

そう感じた瞬間、ふと思い出したことがある。

地質の調査で山に入っていた頃のこと。年配の地質技術者たちは、よく「山の顔」ということばを使っていた。地質図には描ききれない。土の検査では数値化できない。でも確かにそこにある、山の本質のようなもの。

最初は理解できなかった。データで示せないものは、どこか信用しづらかった。でも現場に立ち続けるうちに、少しずつわかってきた。わたしも見習いながら、山を歩いて、観察して、時には「これかな」と感じることがあった。それはことばになる手前の、身体で感じる何か。その気配。

考えてみれば、わたしたちの日常には、そんな「文字になれない気配」、そして「ことばにならない気配」があふれている。
今日、見たあの朝の光も、山の表情も。
確かに感じているのに、うまく説明できないもの。

仕事の中にだってある。
プロジェクトの機微や、チームの空気感。企画書には書ききれない、でも確かに存在する何か。
打ち合わせの場で感じる微妙な空気の変化や、アイデアが生まれる瞬間の高揚感。

数値や文字で表現しきれないものを、ないことにしてしまいそうな毎日。効率や生産性や、ちゃんとした理由が求められる中で、感覚は後回しにされがちだ。

でも、その「感じている」という感覚こそが、新しい発想だったり、深い理解だったりを生むエネルギーの源になるのかもしれない。

ベテラン技術者が山を見るように、経験を重ねた人は確かな感覚を持っている。
それは長い時間をかけて磨かれた、身体の知恵。
直感と呼ばれるものの正体は、もしかしたらそんな積み重ねなのかもしれない。

ことばにしようとする努力は必要だけど、全てをことばにする必要はない。
感じることから始まる。そこに、創造の種がある。気配がすべての核にある。

今朝の光は、そんなことを教えてくれた。そんな気がした。

季節が変わるとき、わたしたちの身体は確かに何かを感じ取っている。
それはことばよりも先に、身体が知っている何か。

これから寒い日が戻ってくるらしい。
でも、確かにわたしは春の気配を感じた。
それは春が見せてくれた小さな贈り物のような……そんな朝の出来事だった。

もしかしたら、あなたの近くにも、まだことばになっていない大切な何かがあるのかもしれない。
それを、感じること。その感覚を大切にすること。
それは、わたし達のなかにある、とても自然な知恵なんだと思う。

時には立ち止まり、そっと身体の声に耳を傾けてみる。
ことばになる前の、そこにある気配を感じようとしてみる。

そんな時間を持つことで、見えてくるものがある。
仕事でも、創造でも、日々の暮らしの中でも。

きっと、それが「顔」。

春の「顔」、今朝の空

このブログの向こうには、声がありました。
話しながら広がっていった思いを、もう少し書いてみたのが、この記事。
よろしければ、声でも聴いてみてください。

田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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