飛梅に会いに行った -太宰府天満宮

京の都をはなれ太宰府へとむかうとき、梅の花によせて、道真公はひとつの和歌をよんだ。

東風(こち)吹かば 匂(にほ)ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

(意味:梅の花よ。春になって風が吹いたら梅の花のかおりを届けておくれ。主人がいなくても、春を忘れずにいておくれ)

拾遺集 雑春・菅原道真(すがはらのみちざね)

この和歌によまれた梅の木は、京都から太宰府(福岡県)までひとっとび。道真公のそばに飛んできたという。
道真公に会いに来た梅の木は「飛梅(とびうめ)」。

伝説となった梅の木が太宰府天満宮にご神木・飛梅としてのこされているという。その樹木に会いたくて、太宰府天満宮まで来てみた。

太宰府天満宮でおみくじ
太宰府天満宮

好き。大好き。好ましい。
その気持ちが大きくて。そばにいたくて、恋しくて。

好きな人をおいかけて、京都から福岡まで飛んできた。
本当は土に根を張り動くことのない樹でありながら、人(道真公)を追いかけて動いてきた。
それが飛梅。

飛梅。奥に見える建物が太宰府天満宮の本殿

太宰府天満宮の本殿、その脇に飛梅はあった。枝はぐなぐなと、葉はみどりで勢いよく空へのびる。ご神木となって、今を過ごしている。

「好き」の気持ちで、空を飛んでおいかけてきた梅の木の精霊・飛梅さん。
行動力もかっこいい。
今も形として思いを残しているところも、なんだかかわいらしく。

飛梅さんの緑のようすや伸びる枝をそっとながめる。 あってみたかった樹木にあえて、じんわりと話をする。

好きな人を追いかけて、そばに来て。
いまも共にあることは、しあわせですか?

—–

好きなものを大切に。
好きなものに正直でいる。

そのことは、とっても簡単で、単純なこと。
そのはずなのに。
好きなものにむかって素直に進んでいくことをできないのはなぜだろう。

他人の目が気になったり。
ふつうは〇〇だろうから、と少し遠慮してみたり。
いろいろな理由が、少しずつ積みあがって。じぶんの「好き」から離れてしまう。

ほんとうは大切にしておきたい思いなのに、
自分に自信が持てなくて。見せたり認めたりすることが恥ずかしくて。
ほんとうの「好き」から少し軸をずらしてみる。
……そういったささやかなずれが重なるうちに、じぶんの「好き」がよくわからなくなってしまう。

じぶんで自分にささやかに嘘をついてきた。
その積み重ねで「好き」をまっすぐに見ることを避けてしまう癖がついた。
……だから、ここから。少しずつ、じぶんに問いかけながら「好き」の真ん中をとりもどす。

じぶんの「好き」はなんだろな。
好きを大事にできてるかな。

じぶんで自分に問いかけながら。
「好き」な気持ちをまっすぐにみつめる。あらわす。
そして、じぶん自身を取り戻していく。

本殿の参拝、飛梅さんの観察を終え、おみくじは本殿前でひいた。
太宰府天満宮のおみくじは、自動販売機のような方式。
100円玉1枚を入れて、くじのはいった扉を開き、自分でひとつとりだす。

おみくじには、ひとつひとつ、道真公のよんだ和歌がかかれてあるという。
おみくじに書かれる「大吉」とか運勢も楽しみだけれど、書かれる和歌がどれになるのかも楽しみ。

—–

飛梅さんにあいにいったおかげで、いろいろな景色を見た。

本殿に向かう参道の途中で虹を見たり……

灯篭のうえに狛犬。
古く角のとれた顔立ちがとてもまるまると。

長い時間をかけて人をながめる力をたくわえているのに、狛犬さんはのんびり。知らん顔。

のんびりの魔法が天満宮のなかに行き届いているからなのか、ハトも並んでお昼寝。
たくさんならんでいて、みんな気持ちがよさそう。

太宰府天満宮へ行き、飛梅さんに会って。
境内に流れる「のんびり」の魔法にかかったわたしも、しばらく、気もちはのんびり。

のんびりのままに、無駄な力は体やこころからも落とす。
そして、じぶんの じぶんの「好き」はなんだろな。と問いかける。

問いかけて、問いかけて。
好きを選び続ける。

そうすれば、もっと。するりと。
「好き」が表にあらわれる。

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