石鎚山に登ってきたのは、友人のリクエストで石鎚神社四社を巡ってきたからだ。ひさしぶりの石鎚山に心躍る、だって、ここは天狗だらけ。葉っぱのうちわを持って、羽が生えていて空も飛べる。人の身近にいてくれて、知恵を授けてくれる。人ではないけれど、わたしにとってあこがれの存在だ。
実物の天狗さまにあうには、自分の準備やお山の季節のタイミングが合わない。それでも、あちらこちらに天狗さんが隠れていた。
今回、目にした中で、わたしの中で一番だいすきになったのは、こちらのピーナッツ型天狗さん。石鎚山を上がっていったトイレ案内の張り紙で出会った天狗のキャラクター。
この天狗さんは石鎚山クリーン協会の「石鎚国定公園トイレ案内図」に出てくるキャラクター(詳細不明)。まるっとした、赤い卵かピーナッツのような天狗がとてもあいらしくて、ふうふうと息切れして上ってきた私の顔がほころぶ、ちょっと力抜けて元気が出た。
石鎚神社成就社では、天狗の置物のなかに入れられたおみくじがあったり(写真撮り忘れた、残念)、授与品に天狗のお面がつけられていたり。本社では入り口の左右に天狗の像がお出迎え。土小屋遥拝所のなかにおかれたお神酒の日本酒にも天狗のラベルが。
そして天狗岩。石鎚山の頂上にある「天狗岳」は、ひょこっと山頂の向こうに立ち上がっている岩場だ。ぐっと切り立った頂上は天狗が周りを見渡すのにもぴったり(下にある写真の上の方にあるのが天狗岩の頂上)。
わたしは天狗岩に上がる手前の岩場から引き返した。岩の下には足元にはぐっと平らに広がる山たちがあって、雲より高い場所にある岩にとりつくと空がうんと近くなる。足と手が岩に貼りついて動けなくなりそう。
人が天狗岩の頂上に立つことには、勇気が多めに必要になる。下に広がる山並みと下から届く風におびえ、わたしは勇気をもって途中で引き返した。頂上まで登るにも、行くのを諦めるにもどちらも勇気がいるから、どちらを選んでも、そのことを選ぶことができたじぶんをほめる。
いろいろな姿の「天狗」をみて、その時々に思うことあり笑顔出るときあり。キャラクターな天狗姿もかわいらしかったけれど、天狗をきっかけに感じたものの重みがとてもありがたかった。笑いながらもたくさんのこと、思い知った時間だった。
レンタカーを返すときにも、にっこりと。伊予の言葉とキャラクターにほっとする。
「無事にもんてきてくれてよかった♡待っとったんよー」
(標準語訳:無事に戻ってきてくれてよかった。待っていたよ)
人でないもの(?)に癒され、考えを助けてもらった二日間でした。