普通ができない/普通になれない。それも才能。

もっと、普通な感じに。うまくやれるようになりたいな。
「変だ、おかしい」と言われるから、何にあわせていいのか、わからなくなるんです。

てな、おはなしを聞かせてもらうと「おおお!(仲間をみつけた)」みたいな気分になる。そして、大丈夫だよって伝えたくなる。

「普通」も「変」も、基準は人それぞれ。所属しているコミュニティによっても、ばらばら。

だから、周りの人のいう「普通」と自分の思う「普通」が違うことは、当たり前で。
周りの人のいう「おかしい、変だ」が、自分にとっての「おかしい、変だ」と一緒にはならない。

だから、自分にとっての優先度を考えてみたい。

周りの人の「普通/変だ」という価値観に、自分をあわせるのか。
自分の価値観を、相手に知ってもらおうとがんばるのか。
自分の価値観のままに、ある程度あいそうな人や場所をみつけるのか。つくるのか。

人との関わりを、高い優先度とするなら、周りの持っている価値観をじぶんの価値観としてみる。

お互いの歩み寄りをがんばってみたいなら、相手の価値観も聞こうとしてみるし、自分の価値観も違う形で伝えてみる。
(相手がこちらの伝えた価値観を受け入れたり歩み寄ったりしてくれるかは、相手次第ではあるのだけれど)

自分の価値観をそのままに過ごしたいなら、それを受け入れてくれる人や場所を探す。あるいは、自分が中心になって、その価値観を元にした場を創る。

やり方は、いくらでも出て来る。自分自身がどうするか、決めさえすれば。

「普通」も「変」も、どう見るか次第。価値観次第で、どちらにでもなる。

「普通」は、その場・人の集まり(コミュニティ)における多数決で決められた価値観のようなものだ。時代・世代・文化・文明などによって、多数派である「あらまほしき姿(普通)」は変わっていく。

他の人から「変だ」とされても、単に現代では/その場では、少数派となってるだけで、時代をさかのぼれば/未来に行けば/場を変えれば、そちらが優勢であるかもしれない。

だから、周りに「変」っていわれたときも、その周りのいう「普通」を自分がどれくらいなら譲れるか、受け止められるかを考える。自分の持つ価値観と、どれくらいなら重ねられるかを都度、確認する。

そこに個性があり、才能となる。

形も大きさも、開き具合も様々。それが美しさになる

「変なひと」「変わってる」と言われることが多かった、わたし。

変なひと(普通じゃないこと)扱いをされると、嬉しくもあり、悲しくもある。

嬉しくなるのは、自分自身を認めてもらえたような気がするから。
悲しくなるのは、お前なんか仲間じゃない(あっちへ、いっちゃえ)と追い払われるように感じるから。

「変である」「変わってる」というけれど、そっち(言っている人の側)が、変だっては思わないのかな。とも思っていた。

だって、わたしにとっては。そっちが、変で、おかしいのだから。

それでも、周りの世界と仲良くなりたくて、自分には「変で、おかしい」と思えるものの平均値を探りながら、あわせてみようと頑張ってみた。自分の持ってきた価値観よりも、まずは周りの価値観を優先してみた。

そうしたら、「変だ、おかしい」と言うくせに、「思ってたより 普通やね」とも言われるようになり、何が「わたし」なのか、自分でわからなくなった。

それから、「普通」をあきらめた。
「普通」でいるより、まずは「自分」。

「わたし」は何を思ってるか、何を感じているのか。自分の形を探し始めた。

ばらばらになったり、消えていたり、埋まっていたり。していた「わたし」は時間をかけて、自分の身体の感覚とことばと思考とに助けられながら、集まった。
今の「わたし」に戻った。(自分の個性を受け入れた)

今のわたしは、街で暮らす人のなかでは「普通」ではない。周りにあわせすぎるのを、やめた/あきらめたから。

なんか違うことを考えているのを、あまり隠さなくなった。
周りにあわせる部分と、自分を続ける部分を、都度、確認して選ぶようになった。

人や車がたくさん動いている中では、頭のスイッチみたいなものをオフにする。自分の内側だけにはいって、考え事が続く。本や空想の中であそんでいることも多い。
だから、ぼんやりとしていて、周りに出遅れたり、はたまた、突然動いて驚かれたりもする。

空気の中の水のにおいや風のにおい、空気の重さを感じたいと思っている。
だから、気配が変わることに敏感だ。突然、天気の変化の話になったり、暦や星や季節変化のはなしが出たりすることも多い。

そして、それらは、わたしの一部。

「ある」なら「ある」でいい。「ある」ことが、自分なのだから。
「ない」なら「ない」でいい。「ない」ことが、自分なのだから。

「ない」けれど、自分が欲しいと思えば「ある」ように身につけようとするし。
「ある」けれど、自分には要らないと思えば、やめる。無くする。

その「ある」「ない」の組み合わせの違いが、ほぼ同じ遺伝子で構成されているはずのヒトの個性を作っている。

「変」っていいよね。まちがいなく、見つけてもらえそうな気がする。
「普通」っていいよね。いつも、あったかなもののなかでまもられる気がする。

それぞれの周りにいる人の組み合わせによって「多数派」=「普通」の価値観は変動する。「変」の価値観だって変わってくる。

だから、みんなが「変」であり、同時に「普通」である。
個性と才能は、それぞれにある。

それでは、またね
お告げ師でカウンセラー 田村洋子でした

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
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