夢に近づく/ライフワークが実現するのが、怖い

友人が夢に近づいた姿を見て。しんみりしたり、あったかくなったりした話を書いたら、わたしにも夢が近づいてきている可能性があるとコメントをもらって、ほくっと嬉しくなった。

周りに夢をかなえた人が増えると自分の夢もかなっている過程を順調に進んでる可能性が高いらしい。自分で見るより、他の人の目で見たほうが真実が見えていることもある。わたし自身が修行僧属性(考え込んだり正しさを探したりして、自分自身に厳しくあたりすぎてしまう)なら、なおさらだ。

人は自分の悪いところと他の人のとくべつ良いところを比べてしまう習性がある。特に修行僧属性を持っているから、他より余分に夢がかなっていない証拠を探してしまったり、夢を難しく考えすぎてしまったり。やりがちになる。

でも、夢がわたしにも近づいてきてくれてる可能性があると言ってもらったのだから、「夢が近づいてる」という前提で自分自身をみなおしてみようと思い立った。ちょうど1年前、お馬さんを見たころに、わたしの夢がかなったときのようすを書いたメモがあったはず。

もし、夢がかなったとき(ライフワークを生きている/自分を生きている)わたしは、どんな風に暮らしているか。

忙しくてもこころにゆとりある、じぶんの思いに寄り添える暮らしができてる。その暮らしは、日本庭園の中の茶室で、人の気配を遠くに感じながら、ひとり静かに座っている感覚に近い。さびしく静かにも思える、澄んだ空気の中でひっそりと自分の感覚も溶け込んでいる。

そして、季節ごとにたのしく友人たちとおいしいものを食べたり、自然の風景の中へ出かけたりして、笑って過ごす感覚をもっている。

あら? 夢がかなっていないつもりだったけれど、今の私は、こんな感覚の中で暮らしている。もしかして、1年前に書いた夢はもう、かなってたということ?

夢がかなっていたことに驚いて(ちょっと納得がいかなくて)、2か月前に書いた夢(ライフワーク)を見直した。こっちは、どうだ。

ここちよい場の主になって、人がいやされ歩きはじめるきっかけに立ち会い、背中を見送る。セラピーにつながるものがたりや景色を書いている人である。人をしあわせにする読み物を作って、読む人や会いに来る人から喜ばれている。

季節ごとにおいしいものを友人たちと一緒に食べている。

友人の書いた本を送られて嬉しくて、その本ができたことを友人と一緒に喜ぶ。わたしの本も一緒に喜んでくれる友人と過ごしている。

これは、かなっているような、かなってないような。微妙なところ。

ライフワークはストーリー仕立てにして、その情景がくっきりと映像になるくらいにイメージを自分に焼き付けるといいという。この週末にでも、少し時間作ってライフワークストーリーを書きなおしてみようか。

そのとき、思い出したのは 2018年5月に東京2期のライフワークセミナーで「すでに自分の人生を生きているといってもいいでしょう」と カウンセラーの根本さんからメッセージをもらったこと。メッセージをもらったときのわたしは、ムッとした。

まだライフワーク(夢)を生きていないのに、どうして「すでに自分の人生を生きているといってもいい」なんて言えるの?!

でも、思い返してみたら、あの時も今も。わたしは自分の人生を生きている。夢もかなったといってもいいと、腑に落ちた(あのとき、ムッとしてしまってごめんなさい)。

夢がかなっているのに、わたしは夢がかなっていないことにしたい。

夢がかなう(ライフワークが実現する)と都合が悪いのか。
夢がかなう(ライフワークが実現する) ことが、怖いのか。

夢を見続けていたいから、夢をかなえたくない。何かが起きそうで、夢をかなえるのが怖い。そう思っているわたしと出くわした。

わたしは、何を怖がっているのだろう。
自分の気持ちをききながら、夢に向かっていいのに。怖いなんて、おかしいな。

とりあえず。自分の夢の形をストーリー仕立てにして、情景が浮かぶようにライフワークストーリーとして書き出してみよう。

それが書き出せたなら、わたしはどんなカウンセラーであるかのキャッチコピーも思いつく気がした。お弟子さん講座の宿題とおして、あれこれ思い出したりつながったり、改めて見つめ直したり書き換えたり。大忙しにたのしく、じぶん探究がすすんでいる。

田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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