毎回、選び直す。~思考停止パターンを考えてみた

とあるお客さまとする打合せの場所は、いつも、同じコーヒーショップだ。駅の改札からほど近く、すぐ席に座れることが多いおなじみの場所。繰り返し何度も訪れている勝手知ったる場所。

先日も、そこでお客さまと待ち合わせた。席に荷物を置いてから注文をしに、レジへ向かう。

「コーヒーを、ショートでください。店内利用だから、マグカップでお願いします」

流れるように、いつもどおりにお店の方へ注文をした。マグカップを受取って席に戻り、ほっと一口、コーヒーを口に含んで違和感を覚える。そして、はっとした。

わたし、本当に、今日、このコーヒーを飲みたかったのかな?

癖のままに、流れるようにして、深く考えずに注文していない?
自分の「今日の身体」と相談した?
自分の「今日の気分」を確認した?

思考停止して、ロボットみたいに。「今」ではない、他の何かを生きていない??

「今」のなかで選び直す

目の前にある「それ」以外に選択肢がない気がして自分をしばってきた、かつてのわたし。近頃は、窮屈に感じていた枠がかなり外れ、のびのびと自由に過ごしていた(つもりだった)。動物のように本能的にモノコトを選んでる瞬間が増え、より自然体なわたしで過ごしていた(つもりだった)。

けれど、日課になって、思考停止しているものの、いかに多いことか!

自分では気づかぬうちに、自動操縦で選んでいるものも、自分でじぶんを決めつけてしばっている枠はいくらでもある。自分自身で気づいた時に、一つずつ、選び直してみる。

自分にとってBEST最高な選択、ごきげんな選択をすることが、じぶんにとっての日常にできるまで、しっかりと繰り返し、何度も選び取ってゆきたい。

いつも、その時々の自分にとってBEST最高な選択、ごきげんな選択をしていくには、注意深くじぶん観察(相談、確認も含む)がだいじ。

そして、より自由に、自然体の自分自身で過ごす時間を増やしていこう。そうすることで、より自然体な、自分自身を生きていける。
日々、練習(日々、修行? 修行好きには、おもしろき思索)

ふたつの思考停止パターンがありそう

……で、どういったときに、自然な自分自身から外れてしまっていそう?
しかも自動操縦のように「それしかない」と、他の選択肢を見ようともせず、選んでいるものはない?

最近の事象を(自分自身のことも、お客さまや友人たちのことも)、ひとつひとつ、思い出しながら、思索の海へ、どぼん。沈み込むわたし。

他の選択肢が見えなくなる時(自分を何かの枠にはめたままの時)。どういった言葉をつかっているのかを思い出してみた。どうやら2種類の思考停止がありそう。

  • ~ねばならない。~した方がいい。
  • 「いつもどおり、これ!」

ひとつずつ、考えてみる。

~ねばならない。~した方がいい。

自分自身の口癖を注意深く観察してみると「~ねば、~の方がいい」と言っていることがある。他の誰かに向けて話していることばだけでなく、自分自身に向けて話していることば(内語、うちご。inner speech)もみつめてみる。

~ねばならない。~した方がいい。が出ているときは、もしかしたら、自分自身の選択に自信がない時かもしれない。自分以外のモノコトに選択基準を明け渡してしまっているときに、多いように感じる。

自分の周りにある世界・世間や自分の置かれている環境での「普通、常識、当たり前」に、よりよく寄り添うための「答え、正解」を探しているときの、ことば。他人の視点へ自分の行動などに関する主導権を明け渡す他人軸になっている。

あるいは、その世界・世間や環境での自分の利益だけを考えて、自分軸ならぬ利益軸になっている。

この口癖が出てきているとき、そこに「自分」はいなくなる。

だから「~ねばならない。~した方がいい」を、自分のことばのなかに見つけた時は、もう一度、自分に問いかけ直す。

それ、ほんとうなの?
わたしは、どうしたい??

世間や常識や、お得な感じや。そういったものを、全部ぜんぶ、とっぱらって。
今のじぶんが。今のわたしがどうしたいのか。
自分自身ではっきり、くっきりと知る。

やさしい人ほど、周りへ選択を譲ることが日常になっていて、自分自身がどう思っているのかを置き去りにしてしまっているようにも感じる。だから、そこは、ずうずうしいかなと感じるくらいに、自分自身のことだけを、まずは見る。

そのうえで、世界・世間や環境の中で、じぶんがどの選択を取るのかを決める。

「わたしがそうしたい」を選ぶ?
それとも
「世界・世間や環境の中でのbetterを探して、そこに寄り添う」を選ぶ?
はたまた
「わたしがそうしたい」と「世界・世間や環境の中でのbetter」とを掛け合わせた、他の選択肢を探してみる?

そうすると、選択が増えて。自分自身で過ごしている感覚が強くなっていく。繰り返し、その感覚を味わうことで、自分への自身がついてくる(とわたしは思っている)。

「いつもどおり、これ!」

今回、コーヒーを頼んだわたしがおもいついたのは、こちら。ふたつめの思考停止。

一度、じぶん自身で選び取ったそのことに安心して、わたしは「これ!」だと決めてしまっている時。

もしかしたら、その他の選択を「今」は取りたいかもしれないのに、選ばなくなっている状態。

人は成長する。かつての自分は、それをBEST最高でごきげんと思ったかもしれない、でも、今の自分はどうなんだろう?それがいいの??

人は変わる。その日の体調や気分によって、自分の選択は変わるもの。揺れ動くもの。だから、「今」このときの自分は、これがいいと思っている??

いつも、その時々に揺れ動いているのが自然のようす。自分自身も揺れ動いていると理解して、その時々の BEST最高でごきげんを選び直す。毎回、選び直す。

そうしたら、より自分そのものでいられる。自然に生きている自分でいられる。

毎回、選び直す

より自由に、自然体の自分自身で過ごす時間を増やすには、「今」の自分にとってのBEST最高でごきげんを選んでいくのが近道だと感じている。自信をつけていくのも、ささいなほど小さな選択を「今」の自分が選んでいくことが近道に思っている。

おかげさまで、最近、周りの方から「自信をもって行動できる洋子さんがうらやましい」と言われることも増えてきた。そのことを、単純に喜んでいる。

わたし自身が30代だった頃は、自信を持てずに穴ぐらにこもっているような人だった。自信がとにかく、なかった。外に答えを求めるから、昼に食べるごはんも自分で選べず、正解を探して選ぶほどだった。けれど、ささいで小さなものに感じられても、全てを「自分で選ぶ」経験を繰り返すうちに、自信を取り戻してきて、今がある。

「小さな選択を自分で選ぶ経験を繰り返すと自信がつくよ。とりあえず、今の自分が何を食べたいか選んでみたら?」とお伝えするのは、自分自身が「今食べたいごはんを選ぶ」ことからはじめた、その経験があるからだと思う。

まずは「ごはんを選ぶ」くらいの小さな日常の選択から始めて、毎回、「今」のじぶんにとってのBEST最高でごきげんを選ぶ。

そうすると、いつの間にか。
より自然体な、自分自身を生きていける。

雨が降っていたけれど、ここだけ鮮やかに明るかった

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田村 洋子

”気配は答え。気配は本物。
気配を感じて、じぶんを生きる。”
*自分の才能や可能性を最大限に発揮するためのプログラム提供
●魂振=意識の周波数を上げる実践のマニア*瞑想と呼吸実践が日課

活動理念:
●見えないものを見える形に ◆笑顔ではなうた、おいしいごはん #じぶんを生きる 自然に生きる

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