身体の感覚で「違い、抽象的」を、言葉で「同じ、具体的」を知る。養老孟司さんの本「遺言。」のはなし

身体の感覚はおもしろいもので、そこには何の判断も入らない。

熱いものに触れれば「熱い!」と感じ、
寒すぎたなら「ぶるぶるっ」と震えが走る。こっそり鳥肌が出て来ることもある。

そんな感じに、出てきた身体の反応に、自分の頭(思考)で意味づける。

熱いのを触った!
ぼんやりしていたからかも、気を付けよう。とか。

鳥肌が出た!
もう一枚、服を着ようか、とか。

何かを感覚でとらえて、それが身体の反応として出て。
それに対して意味づけを後から追いかけている。

だから、心は、身体の感覚をとおして、出来ている部分もあるのだと思う。

心と身体はつながっている

心と身体はつながっている。

それを強く、わたしが感じはじめたのは「うつ」から抜け始めたころのこと。

自分の心が緊張する場面が増えたら、身体がこわばり背中が重くなる。
受け入れづらい内容を多く聞いた時には、お腹を下す。
その日の午後にある会議を思い出して憂鬱になると、決まって通勤の電車のなかでトイレに行きたくなってしまう。

自分自身の身体に出ている症状が、自分の心の反応をもとにつくられてることが、健康であった(?)ときよりもはっきりと見えて。
「心と身体はつながっている」ことを信じるようになった。

そこから、心理学や精神医学にどっぷりはまり始めた。心理学の本、精神医学の本、身体的リハビリで心を癒すための手法を探していろんな本を読んだのだけれど、そのなかで養老孟司さんの本と出会った。

言葉では伝わらないものもある

気に入ったなら、とことん追いかけてみる。養老さんが書かれた本も追いかけて読んでいった。
今、一番すきなのは「遺言。」

なんとか、周りともうまくやりたくて。「普通に」ふるまえるようになりたくて。
そのままの自分でいてはいけないと思っていた。
これは、わりと最近まで、わたしの中に強く残っていた概念だ。

そのままの自分を押さえるから、それも苦しくて。
自分のことをなんとか知ってもらえればと、ことばを重ねた。

けれど、ことばをどれだけ使っても、周りと自分との間にあった壁も溝も埋まらなくて。
自分の言葉が、相手に届かない(ように感じてしまう)理由が、ことばに持たせてある意味の違いだと思った。

で、そこから。さらに、ことばにこだわるようになった。
(幼いころから、ことば、語彙や音そのものに執着していたのだけれど、それがさらに執念深く?なったかんじ)

そうしたら、自分の感じているものが、ことばの隙間からもっとたくさん、こぼれ落ち始めた。ことばを使えば使っただけ「これじゃない」感が大きくなって途方に暮れた。

だから、別のことばをまた探すのだけれど、それもしっくりこなくて……

その頃、この本(遺言。)に出会った(まだ本がでたばかりの2017年のこと)。

「違い」は感覚で知り、言葉で表現する

言語は「同じ」という機能の上に成立している。逆に感覚はもともと外界の「違い」を指摘する機能である。そう考えれば、感覚が究極的には言語化、つまり「同じにする」ことができないのは当然であろう。

養老孟司 著「遺言。」117ページより

感覚は「違い」をみつけるためで、言語(ことば)は「同じ」にするため。

抽象的なものをとらえるために感覚で「違い」を知り、
その「違い」をお互いに伝えるための具体的で「同じ(共通の)」言葉として表現する。

だから、言葉にすると、感覚の全ては入れ込めない。
だから、ことばでは自分の感じているものは伝わらないのか。

とっても、ほっとした。
そのことを覚えている。

それからは、以前ほど「ことばにすること」に執着しなくなった。
(自分の感覚をことばにすることで具体化しようと試みることはあきらめないけれど)

不思議なもので、ことばで自分を伝えることへの執着(というか執念深さ?)が薄れてきたころから、なんとなく、周りの人へ自分の感覚や伝えたかったモノが伝わるようになっていった。
ことばにこだわるあまり、自分自身の感覚(感じていたもの)が薄められてしまっていて、ことばでは相手に伝わらなかったみたい。

わたしの偏愛は「ことば」?

自分の感覚が零れ落ちて相手に伝わらなくなってしまうくらい、「ことば」に執着するって、どうよ?

言いかえるならば、わたしは「ことば」を偏愛しているということだ!
執着するくらい、愛してる。

その執着っぷりを自分で思い知ったのが、この文章を読んでのこと。

目からの文字を通した情報処理も、耳からの音声を通した情報処理も、言葉としては全く「同じ」になる。

養老孟司 著「遺言。」83ページより

「幼いころからことば、語彙や音そのものに執着」しているわたしは、目でも耳でも「言葉」に執着しているということにならない?

もうどうしようもないくらい、わたしは ことばを愛してるみたい。

身体の感覚へ意識を向ける

それほどに「ことば」を愛している、偏愛しているとわかったから、逆説的に。
自分の感覚をもっと大事にしようと、わたしは考えた。

大事にし過ぎるくらい、感覚(違いを知ること、抽象的なもの)を大事にするくらいで、ちょうど言葉(同じにすること、具体的なもの)バランスがとれる気がする。

だから、今。わたしは口癖のように、個人セッションや講座のなかで話すのかもしれない。

【感じる】のは、【心】でも感じるけれど、【身体】でも感じるんだよ。
 日常では意識していない【身体】の感じるもみてみませんか

今、どんな感じがする? 身体の感覚は、どう?

書籍情報

  • タイトル:遺言。
  • 著者: 養老孟司
  • 出版情報:新潮新書、2017年

書店に行って、新しい「遺言。」を購入して来た。

わたしが持っていた本はもう帯が無かったのだけれど、さすが新しい本! 帯がついている。その帯がなかなか……

アタマを信用するな。カラダに訊け!”だそうです。(そうね。カラダに訊いてみる)

この本を持って、養老さんの講演会を聞きに行くのです。
サインしてもらいたいな……

講演会で実際の声を聞くのです。
養老孟司さんのことばのエッセンスを、音と言葉で感じてくる。

会いに行く前に、読みなおせて嬉し。はぁ、たのしみすぎる。

それでは、またね。
お告げ師でカウンセラー田村洋子でした


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田村 洋子

五感覚醒コーチ。まるごとのじぶんを自然体に生きるためのパーソナルコーチ*旧暦とマヤ暦、食や花で今を感じる話し手*心理学講師*周波数調整するエネルギーワーカー 、呼吸と瞑想法
●見えないものを見える形に◆笑顔ではなうた、おいしいごはん
・カウンセラー根本裕幸氏お弟子さん制度卒
・活動地は東京、時々大阪、時々山の中

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