「やりたい!」を熟すまで育てる

「やる気」というとポジティブな感じに思える。
でも、ほんとうに自分のこころからまっすぐ出ている気持ちだったかを見てやらないと、本当にポジティブであったかはわからない。「やる気」を観察してみる必要がある。

自分の今が「足りない」。あれさえなんとかできればと自分を責めて、足りない自分を補いたくて「やる気」になってるとき。「足りない」ことを埋めようと生まれてくるエネルギーは、つかい過ぎに注意。
⇒でも、この「足りない」を埋めたい気持ち。すべてが自分責めに使われるわけではなくて、動くためのエネルギーにもなっているから、見極めも必要。

周りのようすを見て。周りの人が挑戦している姿にあこがれて、なんだかやりたくなってきた。というのもあるかもしれない。
⇒周りの様子が素敵に見えて、真似したくなって「やりたい」気がしただけかもよ。
ほんとうにわたしが「やりたい」ことだった? と考える必要ある。「やりたい」気持ちの濃淡を考えてみよう。

周りにいる人にひっぱってもらって、そのお陰で次なるステージの扉が開くこともあれば。自分が進むはずのステージをながめづらくなることもある。
(のびるとき、支えがあると力強くのびていけるよ。そんな話を書いたばかりで、ちょっとこころぐるしいのだけれど……)

できればいいな
そう思っている時、まだ「やりたい!」気持ちは熟していない。

気持ちが熟すまで、「やりたい!」気持ちを育てる。

じぶんのこころのなかから生まれた、純な「やりたい!」気持ちは、不遇なときも生みの苦しみとして受け入れられる。
じっくり、あわてず取り組んで、実る時を待つことができる。
一度、やめようかと離れても、また戻ってやり直していける。

やりたい! の、その先まで。自分を見つめる。
具体的なありかたを、リアルに想像して動く用意をする。

熟れるのがたのしみ

さて。
そう考えた時。わたしは講師をほんとうにやりたかったのかな。

仲間うちでの宿題に取り組むみたいに、講師になりたいと願うことを義務のように考えたかもしれない。
周りにつられて「やりたい」ような気分になったり、周りもしているから「やらなきゃいけない」と思ったりしたようにも思う。
仲間たちの素敵な姿にあこがれた部分もあったな。あんな風にたのしげに真剣に、わたしもやってみたいなと思ったから、やりたい気がしただけだったのかも?

それで、ふと思い出したのは、教育学部にいた自分が教員にならなかった理由のひとつのこと。わたし、一度におおくの人に向かいあうより、ひとりずつと向かい合いたかったんだった。相手のペースやことばにあわせて、つくりあげるほうが好きだったと思い出した。
だったら、今はまだ。講師をやらなくていいかな。それよりも、もっとやってみたいことがあるから。

じぶんにとっての優先順を知っておけば、やりたい気持ちもあこがれも、うまく進むエネルギーに変えていける。だから、改めてじぶんのことを考える。

自分はどれを優先高めにして動いているんだろう。
何をこころの根っこに抱えて、現実の中を泳いで行ってるんだろう。
どんな役割を自分に与えて、動こうとしているんだろう。

そのこと、知ったうえで。改めて。
「やりたい!」気持ちを振り返る。

……「やりたい!」って、なかなかおもしろい。
内側にぷつぷつと、白黒グレー、いろいろな感情が粒になって詰まってる。

ますます、観察。そして、ことばにして伝えられるくらい整理がついた時、やりたい!気持ちは熟したといえる。やりたい気持ちが、世界のなかで実現する。


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