妹の子どもである甥と姪とが、おかあさん(妹)とようちゃんの小さい写真を見たい。というので、実家に置きっぱなしにしてあった、小さかった頃のアルバムを発掘した。
写真の中で、わたしは雪だるまを作っていたり、制服姿で田んぼを走っていたり。実家の猫たちを、幼かった妹とまとめて抱きしめていたり。 甥や姪と一緒に、写真を眺めて大笑いになった。
そこで不思議に思ったのは、友人たちの姿だ。わたしは、幼いころから男子の友人が多かった。外で活動的にとびまわる、体力おばけなわたし。女子のおままごと遊びでは遊び足りず。また、近所に女子がいないこともあって、自然と遊ぶ相手は男子ばかりになっていた……と思っていた。
けれど、どうだろう。写真のなかにいたわたしは、女子に囲まれて笑っていた。男子たちと遊んでいる写真もあったけれど、女子たちとの写真もちゃあんとあった。いじめにあって少しずつ一人の時間が増えてきた小学生高学年以降の写真にも、何人かの女子たちと笑えていた。
どうして、じぶんには女子の友達はいない。そう思っていたんだろう。その数は多くないけれど、何人かとは、笑って話の出来る関係を続けられていたみたい。
「あんたはわたしと同じで、男子の友達が多いからね」と母が何度も、わたしにそう言ってきたことを、それだけだったと信じたのだろうか。
写真の中には、男子の友達は多いけれど、男子の友達しかいないこともなく。じぶんが一緒に居て楽しいと思える人たちと、笑って過ごせていたわたしがいた。小学生の私も、中学生の私も、それぞれの時間の中で、笑って過ごすときを持っていた。
記憶の中にいた小中学生のわたしは、ほとんど笑えてないつもりだった。学校も世間も好きではなく、学校用の顔と世間用の顔をもたないと生きていけないと思っていたから。
学校はたのしいけれど退屈な場所で、あたりまえのことばかりな教科書も授業もうんざりだった。子どもみたいな内容を、どうして周りにあわせてやらねばならないのか、と理解に苦しんだ。授業を早く進めるために、周りの友達に答えを教えようとしたり、退屈して学校の中を歩き回ったりしていた。そして、先生に怒られたり、外に追い出されたりした。おもしろくない教科書を読むくらいなら、と図書館や大人が読むような本を、授業中に開けて読むような子どもだった。子どもらしくないからと、クラスの中で存在を無視される子どもだった。
それでも、写真のなかでわたしは笑っている。存在を無視されていたけれど、それでも話をする友人が何人かはいてくれた。授業が退屈に感じても、授業に関係なく図書館で借りてきた好きな本を、机の前で読んでいればいいことにしてもらっていた。たのしく過ごす工夫を、一緒に探してくれた大人や友人たちも何人かはいた。
ちゃんとたのしい子ども時代を、わたしは過ごせていたんだ。それを、みないことにしていたから、小中学生のころのことを思い出すのがしんどかったんだ。
親が「あんたは友達がいない」と言うから、そんな気がする。
周りが「子どもらしくない」とわたしを扱うから、そうなのかもしれない。
どちらも、事実の全てを言っているわけではなく。親や周りが、わたしの中の「とある瞬間」を切り取って、たまたま声に出しただけだったかもしれない。
そうだとしたら、このことは事実ではなく、かなりあいまいで適当だ。事実の一部であったかもしれないけれど、事実の全てではなかった。
親から言われてきたことを、知らない間に本当のことだと、疑いもせず思っていたけれど、実際は違っていることも多い。小さいころの写真を見て、そのことを再発見、そして実感。
自分が信用したいと思っていた相手(親や周り)から、決めつけられたり、あてはめられたり。何度も繰り返されるうちに、事実の一部しかないものが、事実の全てであったように思い込んで。事実ではない記憶が、ほんもののふりをして自分の内側に積みあがっていく。
子ども社会の中で、おだやかに過ごせていたわけではないけれど。一緒に居られる友人をわたしなりに見つけられていた記憶は大切にしたい。
わたしが「知っていた」よりも、ずっと。小学生中学生の頃のわたしは、笑っていたよ。楽しんでいたよ。だから、もう。たのしかったことだけ、覚えておこう。わらったときのことを内側に重ねておこう。
それでいいのかもしれない。
人の記憶は、かんたんに書き換えられる。事実のほんの一部(それもネガティブに感じたこと)だけで思い込みを作るのはもったいない。「たのしかった時間を過ごせていたときがあった」。それを、忘れずに。覚えておくと決める。
▼ 友人とは? に迷っていた時かんがえていたこと。