オンラインでの飲み会に参加した。他の人と、久しぶりに飲む夜。どこかのお店で、たまたまご一緒して、おはなしするようなおもしろさ。
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一夜限りのオンラインスナックに行ってみた。そのスナックは、竹内えつこカウンセラーと村松勇雄カウンセラーがとりしきる、ZOOM会議室内のオンライン空間。そこで3時間、うだうだとお話ししながら、お酒のんでた。
ママとマスターのほかに、お客さまはわたしいれて5人。謎空間で、おもしろかった。
何が面白いかって、それは人が集まると届く言葉が「必要」な言葉になってくるから。集まる人が話していること、聞く言葉。全部、いまのわたしにとって「必要」なもの。
とくに、酔っぱらいフィルターがかかると、翌朝まで覚えている言葉などがぐんと減る。結果、選び抜かれた言葉や状況が、記憶にのこされる。
ママやマスター、ほかのお客さんたちは、何を記憶に残していたんだろう。
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今朝、わたしが目が覚めて振り返ったとき。あたまに残っていたのは「専業主婦」のおはなし。「ばりばり、働いている会社員はすごい」とおもって、見上げてしまう。専業主婦やパートではたらいていると、気後れしてしまう。みたいな、話題が出たような……
その話題。今のわたしにとって、タイミングばっちり。ちょうど、今。そんなようなことを考えてたところ。
15年くらい会社員だったけれど、4年ほど前からフリーランス。会社員のころと同じ内容の仕事を会社に所属しない状態で受けたり、資料集めや文章を書いたりで収入をいただいてきた。けれど、そのおしごとにも区切りがついて、いよいよ本格的に専業主婦になる。
で、「専業主婦」と呼ばれることに、心の中がざわざわしているところ。
それは「専業主婦」を「社会からは切り離されている存在」だとわたしが定義してしまっているから。そして、専業主婦になると自分の存在意義が、夫に評価されることで決まるように感じているから。
考えることが好きだから、またまた、じっくり考えてみた。
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家の外に居ても、どこにいても。わたしがわたしであるかぎり、わたしはわたしとして存在できている。そうだとしたら、「専業主婦」であっても社会のなかで「わたし」として存在している。だから、わたしはわたしであれば、それでいい。
わたしが、わたしのことを「わたし」だと認めただけで、わたしは存在意義がある。
だから、誰よりもわたしが!
「わたし」を認める。大切に扱う。ほめる。
何をしていたとしても、何もしなかったとしても。わたしはわたし。
会社員でなくなっても。建設系の技術者としてしごとをしなくなっても。「専業主婦」になっても。カウンセリングをしていても、わたしはわたし。
そんなことを思っていたら、会社員だったころの自分を思い出して納得がいった。
生物学的に女性である自分を、男に生まれたかった気持ちから守るために「建設系の技術者だったわたし」を生かしてきたんだな。そして、男性のように生きてみたくて、ばりばりと働いてたんだな。
けれど、もう。わたしのままで生きていいや。と思えるようになったみたい。男性でも女性でも、どちらでもなく。ただ、自分という性別でいいや。
「専業主婦」だって、言葉が苦手なだけだから。言い換えてしまえば、受け入れやすくなる。
家のなかを整える役割をもつから、「ハウスキーパー」の名称にすると前向きになれるかもしれない。それとも「家の守り神」とでも言ってみようか。そういえば「おかみさん(女将さん)」は、かみさまのことだと聞いたような記憶もある。
「専業主婦」も、そうするとかみさまだ。何をしてもいいし、何もしなくてもいい。存在していることが、家のだいじや守りや癒しになっていく。だったら、たのしんで専業主婦になれる。自分なりの「専業主婦」になればいい、つくっちゃえばいい。
と、心をたてなおし、すっかり元気。何があっても「わたしは、わたし」。何度も、自分に繰り返す。
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オンラインスナックのママさんマスター、ありがとうございました。えつこさんがさばいてくれてたからか、平和にカオスをたのしめました。いさおさんが話の起点つくってくれてたからか、わかりやすかったです。
そして、ご一緒出来たみなさま、ありがとうございました。だれかと話ができるのは、おもしろい。どこに転がるかわからない話題が、おもしろい。
そして「会ってみたかったんです」と声かけていただき、きゅんきゅんしました。
たのしかったです。ありがとうございました。