月末がきて、あすからついたち。4月が始まる。
いま、わたしは宇宙旅行訓練中という設定で、家にとじこもることにしているから、月末に願いをかけにいくことはおやすみ。ベランダから「ん!」と願いを飛ばす。
通常運転のままに、今月の感謝と季節の振り返りをし終えたところ。
「ありがとう」がたくさんになって、どうしようもなく。
あそこでも無茶してきたな。
それでも教えてくれたんだと、感謝も湧いて。
これまでのじぶんでは思いもよらなかったほど、たくさんの人たちの顔がおもい浮かんでぐるっとまわって、消えた。
たくさんの人たちが、周りに居てくれて。たくさんのありがとうが、そこにあって。ありがたかったな、うれしかったな。
そして、ここからは。不思議な感覚なので信じられなかったり、奇妙に思われるかもしれないのだけれど。
ありがとうの気持ちや、周りの誰かを思う気持ちは、世界の景色をまるっと愛おしく変えていく。たぶん、物理的にも。
だから、今。たくさんの「ありがとう」と、だれかを大切に思う気持ちを感じたい。
そうすれば、世界の景色がそれぞれにとって、愛おしいものになる。感謝もしあわせもひろがる。
世界が愛おしくなる。
今になって。がさがさと恐ろしいくらいの勢いつけて、わたしのところに、いろいろな愛おしさが押し寄せているところ。
きゅうぅっと。文字であらわせないほどの、愛おしさを世界に感じて。ふと、涙が出てくる。ストレスが溜まってあふれる涙とは、また違うあたたかな涙。
涙を流している自分は、どこかおかしくなってしまったのではないかと思う。それでも、あったかくて、ぎゅうっとなる感覚が止まらない。
たぶん、何かが、わたしのなかで息づいた。それはまるで受胎したような感覚。
不妊治療を受けていた。医学的な助けを受けて、受胎をこころみた。
5年ほど前に、最後の受胎をして育たず。医学的に生物学的に「産めない」わたしを確認して、もう自分に打つ手は無くなり、あきらめた。
それでも、記録をつけながら過ごした短い受胎期間は、多くの記憶と体感とメモをわたしに残した。
あのときの、あの感覚が、今。感情や心の奥にゆらめいている。
物理的に胎(はら)は空っぽで、育てるものは入っていない。
そのことを、わたしは知っている。
それなのに、肚のなかで何かが息づき始めた。
じぶんでじぶんが不思議になるくらいに、世界が「好き」で仕方がない。
愛おしくて、くるしくて。あったかくて……
そして、しあわせ。
そのしあわせは、年末の気配たちに似ている。多く人が「よき年になりますように」と願っている、あの気配たちが好きだ。
いま、「あしたがよくなりますように」と願う人が増えているからか、年末のときのような気配が街に満ち始めている。その気配に反応して、わたしもしあわせを感じているのかな。
だから、不安になりすぎなくていい。
不必要に大丈夫だという気はないけれど。それでも、たぶん大丈夫だとおもう、わたしがいる。
できるだけ、いつものように。
日々を過ごす。
なんだか、しあわせ。
「好き」をたくさん、思い浮かべることできて。しあわせ。
きょうが しあわせでありますように。
あしたが よりよくなりますように。