寄り添って。痛みを癒していたころを思い出す

とある、持病で。季節に1回くらい、定期的に通院している。診察時は、医学生さん達など見学者さんも多い。治療の経緯が珍しいからなのか(そこそこ患者数がいる病気ではあるのだけれど)。通院しているのが医学系附属病院だということもあるからなのか。

病院では「秘密は厳守します」といわれている。それに、自分の症例が他の方の治療に役立つならば、と喜んで見学されている。

自分自身、調べもの好きなこともあり、第三者であるかのように自分ごとについてメモして帰ることも多い。自分では気づけないことを知ることができて、たのしい。自分の病気の正体に近づくことができたなら、より自分で症状をコントロールできるような気がするから、嬉しくもある。

それなのに。心の状態について見学される機会があったとして(精神科通院時の見学があったとして)、わたしは見学を許可できない気がしていた。

身体のことについての治療は他に見せてもいいとおもえるのに、心の治療はあまり見られたくない。

もし、わたしが心を病んでいることを周りの多くに知られたら、社会に受け入れられないと感じていた。周りからの善意のおしつけで、より心が疲れてしまうように思っていた。

心のことを、周りに見せてもいいか。見られてもいいか。
実際に、周りと。心のことを話すようになる時に、大きな決心が必要だったことを思い出した。

(そのときの気持ちを、弟子仲間さんの記事を読んで思い出した)

自分で、自分の心にある痛みや問題を何とかしたくて、心理学の勉強会やカウンセラー養成講座に通っていた。かなり、頻繁に通っていたのだけれど、あるときから少しずつ行かなくなった。

心理学の勉強会やカウンセラー養成講座に行かなくなったのは、何故だっただろう。それは、古いなじみの講師さん達が卒業していったからだし、カウンセラー志望の人が増えてきたから。わたしの心の痛みの急性症状?が落ち着いたからでもあった。

自分の苦しみを乗り越えたくて来ている人とは、距離の持ち方をお互いにはかりやすい。わたしも、自分の心苦しさを自分で何とかしたくて、カウンセラー養成講座に出ていたから。距離感がつかみやすいように感じていた。必要以上に踏み込まないところも、感じよかった。

けれど、カウンセラー志望だからと乗り込んできた人とは、距離を測るのが難しいことが多かった(新しく来た人が、特に)。「善意」からあれこれと教えてくれて、わたしの内側に土足で踏み込んでくることもある。(土足で上がられたように感じるのは、わたし自身が心の傷を癒しきれていないことが、大きな理由だったのではあるけれど)。

ああ。でもそれすら、わたしの偏見で。自分にとっての「ウマが合う人、合わない人」というだけだったのかもしれない。たいして心痛くもないのに、寄り添うふりしやがって、とカウンセラー志望さんを妬む気持ちがあったようにも思う。

カウンセラーであっても、そうでなくても。人と話をするときは、相手の心に触れることとなる。その深さは、その時々で違う。その深さが、お互いに似た位置であるときに。話してもいいかなという気持ちにつながるんだろうか。

少しずつ。心のことを話をしてもいいかなと、思える相手ができてきて。話しながら、寄り添いながら。自分ごとで向き合いながら。励ましあって。心の痛さや問題に思うことの見方が変わっていった。ひとりで見ていたのでは、まだ痛いままかもしれず。寄り添ううちに、時間とともに傷はマイルドになってた。

それでも、カウンセリングは、最終的にはあたたかなものだと思っている。心の痛みや問題を癒して、次に続く自分の未来をみつめる力を確認する時間だった。あの頃、どうやって、心のことを話すようになっていったっけ。

わたしが、はじめてカウンセリングに関わったのは、高校生の頃。ピアカウンセリングの場だった。

ピアカウンセリングは、当事者同士の痛みの分かち合いの場。そして、少し先を行く当事者さんの姿を見て、自分の未来に希望を感じる場だった。(だから、今も。わたしは、つい自分の体験を話してしまうのかもしれない)

親と別れたり捨てられたりした悲しみ、苦しさ。社会からの偏見、いやみなど。それがあっても、できるだけ「普通」の形になって生きていこう。
親が足りなくても、いなくても。普通の家族ではないと社会から言われても。それでも、「普通」をめざして生きていこう。

当事者同士で励ましあって、社会の中での「普通」と「自分の形」を探すようなカウンセリングだった。とっても、あったかくて。新しい家族ができたような時間だった。痛みを持ったまま、お互いに寄り添って、痛みを乗り越えようとしていた時間だった。

今、カウンセリングを届けている時にも、それくらいにあったかな思いをもって。

がんばろうね、がんばりたいね。何かになろうね、何ができるかな。
兄や姉、弟や妹のような人たちと、頭寄せ合って、泣いたり笑ったりしていた時のように。

話してくれている人たちと向き合えているかな。痛みを持った人たちとも(自分の傷は傷として持っているままに)、寄り添えているかな。大丈夫かな。

改めて、自分のカウンセリングでの在り方を、人と話をすることを。考え直すことになった。

考え直しや思い出しのきっかけ、もらえたことに。ありがとう。

▽「寄り添う」仲間や友人を、どうしていいか。人嫌いのふりをしがちなわたしのこと。

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