ひとりで「慣れない!」て笑って。大騒ぎしながら、音声をちぎってみたり。静止画を貼り付けてみたり。Youtubeをはじめることを、楽しんでいる。そうしたら、音声のなかにいたわたしの気持ちを、おもいがけず拾い上げた。
>>>お弟子さん2期(有志)のYoutubeチャンネルはこちらより<<<
音声で、感情のゆれに気づく
音声の編集をすると、ひとつの音源をくりかえし聞くことになる。そこで、わたし自身の話していた言葉をききながら、感情が動くのを見た。
はじめは、静止画に音声をひっつけただけの動画を作った。たまたま、1本目は上手くいって音声を繰り返し聞くことはなかった。 だから、自分の感情がゆれたことに気づかなかった。2本目の動画を作ろうとして、つまづいた。音声が18分くらいあり、公開しようとして失敗。
15分以内の動画にすれば、かんたんにYoutubeにのせられるらしい。との情報を得て、18分の音声をふたつに分ける作業をした。その作業をしたおかげで、かすかに残していた感情のひっかかりを、耳がとらえた。
ゆれた私は音声のなか。「まじめかよ」と自分つっこみをいれていた。そして、何度か。自分の「まじめ」をへらへらと、笑いにしていた。その自分の声を聞きながら、「まじめ」な自分につっこみながら、心の奥が、かすかにきしんでいたことに気づいた。
わたし「まじめ」と言われるの、苦手だったんだ。
(もう気にしないつもりだったけど、まだ気にしてたみたい)
気にしているから、まわりに言われるよりも、先に自分で。「まじめ」を笑ってごまかしてた。
「まじめ」といわれるのは苦手
「まじめ」といわれるとき。周りから批判的な雰囲気をもって、わたしに投げつけられたことが多い。周りから「まじめ」だと言われたときの、良い記憶がほとんどない。
だから、「まじめ」という言葉に、あまりいい印象を持てていない。
冗談が通じない。お固い。融通が利かない。不器用。深刻すぎる。おもしろみがない。理屈っぽい。頑固でいうことを聞かない。
……そういった印象の音となって、わたしに聞こえてしまう。
とくに、クソ「まじめ」といわれたなら、はげしくわたしはがっかりする。イラッと、腹立たしさがうねりになって、胃の奥でちらつく。
だから、まじめだと周りに言われたら。気を使わせたなと反省し、もじもじする。いうことをもっと聞いた方がよかっただろうか。相手の言葉を、ことばどおりに理解できなかった。空気を読めなかった。などと、落ち込んでいた。
クソまじめといわれたら、じゃあどうすれば、周りは満足できるの。どんな形の生き物に、わたしは変わればいいのよと、いら立っていた。
まだ、あの頃の気持ち。じぶんで受け止めきっていなかったんだな。
もういいよ。まじめな私で。まじめも、いいことあるよ。大丈夫だよ。だから、きゅうっと。傷ついてた頃のわたしを、もう一度抱きしめてみる。
「まじめ」は魅力
まじめなのも、わたしの魅力の一つだ。「まじめ」。それも、いいんじゃない? なでなでと、傷ついていた昔のわたしをなでながら話しかける。
だって、まじめなんだから。自分が落ち着いて。まじめの皮がはがれないかぎり、着々と。モノコトすすめる、底力を持っている。
まじめに、お固く。周りに見てもらえるなら、「世間一般」にまぎれるための、ネコの皮にもできる。女優さんみたいに、まじめを演じ分けてると思えばいい。仮面(ペルソナ、擬態)のひとつに、まじめがあるのだ。
気ままなわたしと、まじめなわたしをいったりきたり。シーソーに乗っているみたいにして、使い分ける。それも、わたしの魅力のひとつ。
「まじめ」といわれても、全てで「まじめ」をやれるわけではない。抜けているジャンルもあるし、まじめを忘れている瞬間も多い。そのギャップだって、はっと目をひく(かもしれない)。
それに。まじめは一直線。すっと、通って奥に届く。地に足つけて、危なげなく未来に向かって手を伸ばせる。
ね? まじめも素敵でしょう?
小さくかすかに、隠れていた。傷ついたころの私は、ちょっとだけ。こわばっていた顔をゆるめた。うん。いまは、それでいいよ。いつか、気にならなくなるよ。それまでは、まじめでよかったねと思えること、一緒に数えていこうね。
(おまけ)Youtubeもよろしくね
感情の揺れがあったって、それは重箱のすみをつっつくくらいの、ささいなことだ。
何より、たのしい3人のカウンセラーのおしゃべり、聞いてもらいたい。まだ粗削りかもしれないけれど、伝えたいものは、それぞれに持っている。
その雰囲気は「お弟子さん2期(有志)のYoutube」より、お聞きください。オフなかんじのわたし達は、こんな感じです。 (チャンネル登録、まってます)
そして、裏話 >> 根本裕幸カウンセラーのお弟子2期生(有志)ちゃんねる、はじめました【Youtube】裏話